IbrahimLumumbaOmar’s blog

Omar Fanon. Patrice Lumumba. Chama Cha Mapinduzi.

米国は、米国の利権と特権を守っているだけだ。米国は悪の帝国だ。

米国は、米国の利権と特権を守っているだけだ。米国は悪の帝国だ。


米国は、米国の利権と特権を守っているだけだ。米国は悪の帝国だ。

オマル・トリホス「我々は、今までも、現在も、そしてこれからも、決して、準国家・自治国家ではないし、植民地でもないし、保護領でもない。我々には、米国の国旗に加えられる次の星の一つになるつもりはない」

スペインは約300年間パナマを植民地にした (1538年–1821年)
1821年、パナマを含むヌエバグラナダ領は大コロンビアとして独立宣言。
大コロンビア1831年に解散したのち、パナマとヌエバグラナダは、最終的にコロンビア共和国となる。
1903年、米国はコロンビア共和国に干渉し、パナマは分離独立した。
同時に、米国は、パナマ地峡にあるパナマ運河地帯を米国領土とした。
1914年、米国はパナマ運河を建設。
1989年、米国は再びパナマに侵攻。
国連総会は、賛成75、反対20、棄権40で、パナマ侵攻を、米国による深刻な国際法違反だと糾弾した。
米州機構は、パナマ侵攻を非難し、米軍撤退を要求する決議を採択した。また、米特殊部隊がパナマニカラグア大使館に侵入したことで、大使館の外交地位が侵害されたことを糾弾する決議を採択した。
国連安全保障理事会では、米軍が即座にパナマから撤退することを要求する決議案を7か国が提出した。
この決議案に対し、フランス、英国、米国の、3か国の常任理事国は、パナマ運河にいる3万5000名の米国人の自衛権を根拠に、拒否権を発動した。

パナマは、中央銀行がない。パナマ中央銀行を持ったことが一度もない。
米国は、パナマを、経済的に占領している。

米国は航行の自由を守っていない。
米国は、米国の利権と特権を守っているだけだ。
米国は悪の帝国だ。

米国の国旗および米国自身が、米国が帝国主義者植民地主義者なことを証明している。


[1]
[Wikipedia]
パナマ
https://en.wikipedia.org/wiki/Panama
通貨
バルボア (PAB)
米ドル (USD)

パナマな公式にはパナマ共和国と呼ばれ、中央アメリカの大陸を横断している国家であり、北米の南端から南米の北部にわたる。
16世紀にスペインの植民地主義者たちが来着するまでは、パナマは多くの異なる先住民族が生活していた。
1821年にスペインから独立し、大コロンビア共和国に参加した。大コロンビア共和国は、ヌエバグラナダとアクアドルとベネズエラの連合である。
1831年大コロンビアが解散したのち、パナマとヌエバグラナダは、最終的にコロンビア共和国となる。
1903年、米国の支援により、パナマはコロンビアから分離独立した。このときパナマは、米国が米国陸軍工兵隊により1904年から1914年にパナマ運河を建設することを許可した。
1977年の「トリホス・カーター条約Torrijos–Carter Treaties」により、パナマ運河は1999年12月31日に米国からパナマへ譲渡されることが合意された。

歴史
征服から1799年まで
Rodrigo de Bastidasは、1501年、金(ゴールド)を探してベネズエラから出航し、パナマ地峡を探索した初めての欧州人となった。
1年後、クリストファー・コロンブスパナマ地峡を訪れ、ダリエン県に短期間の入植地を作った。
1513年、バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが大西洋から太平洋へと紆余曲折の旅をし、パナマ地峡が本当に両大洋を結ぶ道であることを示し、パナマは急激に新世界におけるスペイン帝国の交差点となり市場となった。
フェルディナンド2世は、Pedro Arias Davilaを総督に任命した。
彼は、1500名が分乗した19隻の船を連れて1514年6月に到着した。
1519年に、Davilaはパナマ市を建設した。
金および銀が南米から船で運ばれ、パナマ地峡を超えて運ばれ、スペインに向けて船積みされた。
パナマは、約300年間(1538年–1821年)スペインの統治下にあり、南米の他のスペイン領とともにペルー副王領の一部となった。
最初から、パナマ人のアイデンティティは"地理的運命"の感覚に基づいており、パナマ人の運勢はパナマ地峡地政学的な重要さとともに変動してきた。
植民地支配された経験が、パナマ人のナショナリズムと高度に階層化された社会を生みだし、それが内紛の原因となり、ナショナリズムの求心力とは反対向きに働いた。
1800年
イスパノアメリカ独立戦争が、ラテンアメリカ全土で激化してくると、パナマ市は独立の準備をした:しかし1821年11月10日に公表された「Grito de La Villa de Los Santos (サントス市からの要求Cry From the Town of Saints)」により彼らの計画は加速された。この「Grito de La Villa de Los Santos (サントス市からの要求Cry From the Town of Saints)」は、アスエロ半島の住民が、パナマ市の後援なしに単独で、スペイン帝国からの分離を宣言したものである。

植民地状態から独立後のパナマ
スペインから独立した後、1821年末、パナマは自主的に大コロンビア共和国の傘下に入り、それは80年間続いた。
米国はこの領域に影響を与えようとし、特に、パナマ運河の建設と支配に影響を与えようとし、1903年パナマをコロンビアから独立させ、独立国とした。
1903年1月22日に、コロンビア議会が「Hay–Herran Treatyヘイ-ヘラン条約」を否決すると米国はパナマ人の分離独立運動を支援し奨励することにした。
1903年11月、パナマでは、米国に秘かに支援されて独立を宣言し、「Hay–Bunau-Varilla Treatyパナマ運河条約」を米国と結んだものの、パナマ人は、その場に一人も列席していなかった。
パナマの大統領と代表団がニューヨークに到着しこの条約を交渉しようとしていたにもかかわらず、フランス人技師でロビイストのPhilippe Bunau-Varillaがパナマを代表した。
この条約は、パナマの代表団がワシントンにつく前夜に、素早く起草され調印された。
Bunau-Varillaは、失敗し今や破産しているフランス運河会社の従業員であった。
この条約は、米国に対し、”まるで米国が幅16キロ(10マイル)、長さ80キロ(50マイル)にわたるゾーンに対し主権を持っているかのように”権利を認めるものであった。
このゾーンで、米国は運河を建設し、その後、管理し、要塞化し、”永続的に”防衛しようとしたのだ。
1914年、米国は、現存する全長83キロ(52マイル)の運河を完成させた。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Panama_canal_cartooon_1903.jpg
1903年の政治風刺画。米国政府がパナマの分離独立主義者とともに、コロンビアからのパナマ独立宣言をたくらみ、米国の軍艦と海兵隊パナマに送った。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Roosevelt_and_the_Canal.JPG
1906年パナマ運河で、米大統領セオドア・ルーズベルトが、蒸気駆動のシャベルに座っている。

1903年から1968年まで、パナマは、商業を重視する少数派が支配するという寡頭支配(オルガリヒ)による、立憲民主主義であった。
1950年代、パナマ軍は、オルガリヒの政治的覇権に対し、挑戦を始めた。
1960年代初頭には、「Hay–Bunau-Varilla Treatyパナマ運河条約」について再交渉しようという、持続的な圧力がパナマで生じ始めていた。これは1964年初頭には暴動をも引き起こし、略奪が広がり、何十名もが死亡し、米大使館が脱出した。

1970年以降
オマル・トリホスの治世下で、パナマ軍はパナマの政治的社会的構造を変化させ、社会保障の適用範囲を大きく広げ、公共教育を拡張した。
1981年、トリホスは飛行機事故で無くなった。
トリホスの死は、パナマの政治進化のトーンを変えた。
この時までに、将軍のマヌエル・アントニオ・ノリエガは、パナマ軍および政府の支配を確固たるものにしていた。[いつ?when?]

米国による侵略 (1989年)
米国は1989年12月20日パナマを侵略した。作戦名は「Just Cause大義名分」。
米国は「この作戦は、”パナマにおける米市民の生命を守り、民主主義および人権を守り、麻薬密輸と戦い、トリホス・カーター条約が要求するパナマ運河の中立性を守るのに必要だ”」と宣言した。
米国は、米兵23名が死亡し324名が怪我をしたと発表し、また、パナマ人の兵隊は推定450名程度が殺されたと発表した。
この紛争で亡くなった市民の人数は、200名から4000名と推定されている。
国連はパナマ市民の死者数を500名とし、「アメリカ・ウォッチAmericas Watch」は300名と推定し、米国は民間人の死者数について202名という数値を出し、前米司法長官のラムゼイ・クラークは死者数は4000名と推定した。
この作戦は、ベトナム戦争以来、米軍最大の軍事作戦であった。
12月29日、国連総会は「パナマへの介入は”国際法、および、諸国の独立、主権、領土保全に対する言語道断の違反である”」という決議を可決した。
安全保障理事会では、同様の決議が、米国、英国、フランスの拒否権により否決された。
ノリエガは、裁判にかけられるために捕獲されマイアミに飛行機で運ばれた。
この紛争は1990年1月31日に終了した。


[Wikipedia]
オマル・トリホス
https://en.wikipedia.org/wiki/Omar_Torrijos
オマール・エフライン・トリホス・エレーラ(February 13, 1929年2月13日 – July 31, 1981年7月31日)は1968年から彼の死の1981年まで、パナマの独裁者でパナマ防衛軍の司令官でパナマの軍事指導者であった。
トリホスは、公式には決してパナマの大統領ではなかったが、”パナマ革命の最大の指導者”などの肩書を持っていた。
トリホスはクーデターで権力を握り、多くの社会改革を成し遂げた。
トリホスは、パナマ運河の主権をパナマに完全に譲渡するという、1977年の「トリホス・カーター条約Torrijos–Carter Treaties」を交渉したことによりもっとも知られている。
経歴
トリホスは、--- パナマの商業や政治を長いこと支配してきた(そして今も支配している)、しばしばrabiblancos(白いシッポwhite-tails、最近ではyeye(s)とも)と言及される典型的な白人系の社会的エリートとは正反対の --- 貧しく、スペイン語話者で、混血であるパナマの人々の大半を代表する、初のパナマの指導者と、彼の支持者から、評価されている。
トリホスは、多くの学校を開校し、貧しい人々のために新たに就職機会を設けた。
トリホスは、貧しい人々の土地区画を改善するために、種々の社会経済改革を行い、また、農地を再配分した。

国際政治では、トリホスは、チリの大統領サルバドール・アジェンデを支持し、1973年のクーデターのあとは難民を受け入れた。
トリホスは、ニカラグアのサンダニスタ・ゲリラを支援し、エルサルバドルグアテマラの反乱軍を支援し、また、キューバとの外交関係を刷新した。

パナマ運河
ユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーを尊敬しており、また、ガマル・アブドゥル=ナセルによるスエズ運河国有化に触発されて、トリホスはパナマ運河の主権を得るために、米国に対する戦闘に着手した。
1973年、米国との交渉に進展が見られなかったので、トリホスは国連の関与を求めた:「我々は、今までも、現在も、そしてこれからも、決して、準国家・自治国家ではないし、植民地でもないし、保護領でもない。我々には、米国の国旗に加えられる次の星の一つになるつもりはない」
米国は採択された決議に拒否権を発動した。
トリホスは、パナマ運河に関するトリホス・カーター条約を交渉し、1977年9月7日に調印した。

トリホスは、1981年1月31日、パナマ空軍のデハビラントカナダDHC-6ツイン・オッター飛行機に乗っているときに飛行機が、パナマのPenonome近くのCoclesitoのCerro Martaに墜落して52歳の時に亡くなった。
トリホスの死は、パナマ全土に、特に貧しい地域に、国民的な悲しみを引き起こした。
トリホスの死は、トリホスが暗殺計画の被害者なのではないかという告発と疑惑を引き起こした。
例えば、「将軍のノリエガが所有していた文書の中に、米国の情報機関が将軍のノリエガおよびトリホスを暗殺しようとしたという証拠がある」と、マヌエル・ノリエガの弁護士Frank Rubinoが1991年5月のマイアミにおける公判前審問で述べている。
1981年、ソ連のニュース局TASSも、米国がトリホスの死を起こしたと主張した。
ノリエガの首席補佐官で大佐でトリホスのいとこのRoberto Diazは、最近では2013年になるが、何度も、米国とノリエガがトリホスの死に関与していると糾弾し、調査を求めている。


[Wikipedia]
マヌエル・ノリエガ
https://en.wikipedia.org/wiki/Manuel_Noriega
マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノ(1934年2月11日 – 2017年5月29日)は、1963年から1989年まで、パナマの独裁者で政治家で軍人で、パナマの実質的指導者。

米軍に逮捕された後の、ノリエガ将軍のマグショット
https://en.wikipedia.org/wiki/Manuel_Noriega#/media/File:Manuel_Noriega_mug_shot.jpg


[Wikipedia]
パナマ運河
https://en.wikipedia.org/wiki/Panama_Canal
パナマ運河は、82キロ(51マイル)のパナマにある人工の水路で、大西洋と太平洋をつなぎ、北米と南米を隔てている。
建設中、運河の周りの領域を、コロンビア、フランス、そしてその後、米国が支配した。
フランスは1881年に運河の建設を始めたが、技術的問題や労働者の高い死亡率から投資家の信用を失い、建設はストップした。
米国は1904年5月4日にこの計画を乗っ取り、1914年8月15日にパナマ運河を完成した。
パナマ運河パナマへの譲渡を規定した1977年のトリホス・カーター条約まで、米国はパナマ運河とそれを取り巻くパナマ運河地帯を支配下に置いた。
米国とパナマの共同統治時代のあと、パナマ運河は1999年にパナマ政府が所有した。
現在パナマ運河は、パナマ政府が所有する「パナマ運河庁Panama Canal Authority」により運営管理されている。


[Wikipedia]
パナマ運河地帯
https://en.wikipedia.org/wiki/Panama_Canal_Zone
パナマ運河地帯は、1903年から1979年までパナマ地峡に存在した、米国の租借地である。
パナマ運河と、パナマ運河の中央線から両側に5マイル(8キロ)の幅で広がる地帯からなるが、パナマ市とコロン市は除く。
首都はバルボアである。


[Wikipedia]
米国によるパナマ侵攻
https://en.wikipedia.org/wiki/United_States_invasion_of_Panama
米国によるパナマ侵攻、作戦名「Just Cause大義名分」は、1989年12月中旬から1990年1月末の1か月で終了した。
これはジョージW.ブッシュ政権下で起きた。また、パナマ運河の支配権を2000年1月1日に米国からパナマに譲渡するという「トリホス・カーター条約Torrijos–Carter Treaties」が締結されて10年後でもあった。
この作戦後、パナマ防衛軍は解体され、Guillermo Endaraが次期大統領に就任した。
国連総会および米州機構は、この侵攻が国際法違反だと糾弾した。

国内外の反応
パナマ侵攻は、国際社会の怒りを巻き起こした。
いくつかの国々は、「パナマ侵略により、米国は侵略行動という犯罪をしている。そして、ラテンアメリカにおいて武力介入政策を新たに始めたことを隠そうとしている」と米国を糾弾した。
12月29日、国連総会は、賛成75、反対20、棄権40で、パナマ侵攻を、米国による深刻な国際法違反だと糾弾した。

12月22日、米州機構は、パナマ侵攻を非難し、米軍撤退を要求する決議を採択した。また、米特殊部隊がパナマニカラグア大使館に侵入したことで、大使館の外交地位が侵害されたことを糾弾する決議を採択した。

国連安全保障理事会では、パナマ侵攻について数日間議論した後、米軍が即座にパナマから撤退することを要求する決議案を7か国が提出した。
この決議案に対し、12月23日、フランス、英国、米国の、3か国の常任理事国は、パナマ運河にいる3万5000名の米国人の自衛権を根拠に、拒否権を発動した。

ペルーは、パナマ侵攻に抗議して、米国から大使を引き上げた。

パナマ侵攻から18年後、パナマ議会は全会一致で、2007年12月20日を全国民的追悼の日と決議した。
この決議は、大統領のMartin Torrijosが拒否権を発動した。
2019年12月19日、パナマ政府は、12月20日を「全国的追悼の日(Dia de duelo nacional)」とし、半旗を掲げることとした。


[Wikipedia]
殉教者の日 (パナマ) Martyrs' Day (Panama)
https://en.wikipedia.org/wiki/Martyrs%27_Day_(Panama)
「殉教者の日Martyrs' Day(スペイン語: Dia de los Martires)」は、パナマ国民の喪に服す日で、パナマ運河地帯の主権をめぐって起きた1964年1月9日の反米暴動を記念する日である。
パナマ国旗が破かれ、「パナマ運河地帯警察の警官やパナマ運河地帯の住民」と学生たちが衝突して学生が殺されたのちに、この暴動は始まった。
国旗事件あるいは国旗抗議デモとも呼ばれる。
パナマ運河警察が圧倒されたのち、米軍が介入して弾圧を始めた。3日間の戦闘ののち、22名のパナマ人と4名の米軍兵士が殺された。
この事件は、1977年のトリホス・カーター条約を通じてパナマ運河の支配権を米国がパナマに引き渡す決定をする大きな要因となったと、考えられている。


[Wikipedia]
「トリホス・カーター条約Torrijos–Carter Treaties」
https://en.wikipedia.org/wiki/Torrijos%E2%80%93Carter_Treaties
「トリホス・カーター条約Torrijos–Carter Treaties」は、1977年9月7日に、ワシントンDCで、米国とパナマにより調印された2つの条約である。この条約は、1903年の「Hay–Bunau-Varilla Treatyパナマ運河条約」を取って代わるものである。
このトリホス・カーター条約は、1999年以降パナマパナマ運河の支配権をえることを保障するものであり、1903年以来米国が行使してきたパナマ運河の支配を終わらせるものである。
トリホス・カーター条約のうちの一つ目の条約は、正式名称「パナマ運河の永久中立と運営に関する条約Treaty Concerning the Permanent Neutrality and Operation of the Panama Canal」であり、一般に、”中立条約”として知られている
この条約の下では、全ての国にパナマ運河が中立的なサービスを提供し続けることに干渉するかもしれないあらゆる脅威に対して、米国はパナマ運河を防衛する権利を永久に保持している。
トリホス・カーター条約のうちの二つ目の条約は、「パナマ運河条約Panama Canal Treaty」という名称で、1999年12月31日12:00からパナマパナマ運河の全ての運営の完全な支配権を引継ぎ、パナマ運河の防衛に主要な責任を負う、というものである。


[Wikipedia]
パナマ国立銀行National Bank of Panama
https://en.wikipedia.org/wiki/National_Bank_of_Panama
パナマ国立銀行National Bank of Panama (スペイン語: Banco Nacional de Panamá) (BNP)」は、パナマの2つあるパナマ政府所有銀行のうちの一つ。
2009年1月現在、この銀行には約50億ドルの預金がある。
パナマ中央銀行を持ったことが無い。


[Wikipedia]
米国の州のリスト。合衆国に加盟が認められた日付順。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_U.S._states_by_date_of_admission_to_the_Union
州 / 日付(認められた日 あるいは 批准した日) / 元の形態
34 カンザス / 1861年1月29日(認定日) / カンザス準州 (一部)
36 ネバダ / 1864年10月31日(認定日) / ネバダ準州
37 ネブラスカ / 1867年3月1日(認定日) / ネブラスカ準州
38 コロラド / 1876年8月1日(認定日) / コロラド準州
39 ノースダコタ / 1889年11月2日(認定日) / ダコタ準州 (一部)
40 サウスダコタ / 1889年11月2日(認定日) / ダコタ準州 (一部)
41 モンタナ / 1889年11月8日(認定日) / モンタナ準州
42 ワシントン / 1889年11月11日(認定日) / ワシントン準州
43 アイダホ / 1890年7月3日(認定日) / アイダホ準州
44 ワイオミング / 1890年7月10日(認定日) / ワイオミング準州
45 ユタ / 1896年1月4日(認定日) / ユタ準州
46 オクラホマ / 1907年11月16日(認定日) / オクラホマ準州 と  インディアン準州
47 ニューメキシコ / 1912年1月6日(認定日) / ニューメキシコ準州
48 アリゾナ / 1912年2月14日(認定日) / アリゾナ準州
49 アラスカ / 1959年1月3日(認定日) / アラスカ準州
50 ハワイ / 1959年8月21日(認定日) / ハワイ準州


[Wikipedia]
米国の領土の歴史的変遷
https://en.wikipedia.org/wiki/Historical_regions_of_the_United_States
外国から併合ないし割譲した土地Regions annexed from or ceded by foreign powers
ネイティブ・アメリカンから割譲ないし購入した土地Ceded or purchased Native American regions
入植により編入された土地Former organized territories


[Wikipedia]
米国の国旗
https://en.wikipedia.org/wiki/Flag_of_the_United_States
デザインの歴史的な変化
以下の表には28種類の米国旗が示されている。国旗の星の配列は、一般的なパターンで、主に米海軍が用いているもの出る。
1934年に初めて米国旗の配色が規定された。
星の数
横線の数


[2-1]
途上国は団結し決起すべきだ。
全ての先進国を滅ぼせ。
全ての西側諸国を滅ぼせ。

本来途上国は、カネが無い。
だから、途上国は、内需を縮小し、それにより貯めた外貨で、重工業化を進め、輸入依存から脱却するのが正しい。
途上国には、自動車産業、バイク産業、造船業、鉄鋼業などが必要。

他方で、途上国は、不景気の不満が出ないように貧富の差を縮め、共産主義化すべき。、

途上国は、
(1) 天然資源を国有化する(例えば石油産業とか)
(2) 農産物および天然資源に関しOPECみたいな国際団体を作り、先進国相手に高値で売りつける。
(3) 総需要抑制政策をとる、政府が貿易統制をし、政府が為替統制をする、輸入を減らす
(4) 共産主義化し、貧富の差を縮め、失業対策および不況対策とする。
(5) 内需縮小で、貿易赤字、経常収支赤字、対外債務を減らし、その浮いたおカネで、時間かかるけど工業化も進展させる。
(6) UNCTADで、資金調達し工業化を進める。
(7) 国連を改革し、IMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)を改革し、G7や先進国の特権を廃止する。べきだ。

西側先進国及び全てのG7諸国を、内需拡大させろ。
全てのG7諸国および、全ての西側先進国が滅びれば解決する。

どこの国でも、いつの時代でも、やることは同じ。
OPECのような国際機関を作り、先進国に奪われた富を、奪い返すのだ。

先進国は 開明的でもないし、進歩的でもないし、先進的でもないし、民主的でもない。
先進国がしてきたことは 途上国に対する搾取だ。
証明は簡単にできる。
原油を、先進国に対しては、1バレル当り500ドルで売るべきだ。
(私は共産主義者だ。ウラジミール・レーニンは素晴らしい)
(全ての先進国を滅ぼせ)


[2-2]
ウラジミール・レーニン毛沢東ホー・チ・ミン、フランツ・オマール・ファノン、エメ・セゼールジャワハルラール・ネルーチェ・ゲバラは偉大だ。、
私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。


[2-3]
我々には永続的な平和が必要だ。
少なくとも以下の条件が、最低条件だ。

* 西側諸国の重工業全ての解体・廃止 (これはまさに、1945年に、連合国が枢軸国に望んだこと)
* 西側諸国の金融資本全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の重工業全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の金融資本全ての解体・廃止
* NATOの解体・廃止
* EUの解体・廃止
* 全ての西側諸国の全ての軍事力の解体・廃止

西側においては、西側のカルテル及び西側の財閥が、楽して金儲けをするために戦争を引き起こしている。(これは軍産複合体と呼ばれる)
そしてこれはまさに、ウラジミール・レーニンが指摘したことだ。


[2-4]
西側諸国は、アフリカ、中東、東南アジア、南アジア、中南米、東欧を植民地にしている。
西側諸国は、帝国主義者ファシスト植民地主義者だ。

全世界は、反西側で決起すべきだ。
原油価格を上昇させよう。
天然ガス価格を上昇させよう。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。

もちろん、我々は、この機会を利用し、独立を得るために戦う。
もちろん、こんにち、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」は、悪だ。
「アフリカ、中東、イスラム、南アジア、東南アジア、中南米「は、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」の邪悪な行いにより、被害を被ってきた。


[2-5]
「米国に死をDeath to the U.S.」
「G7諸国全てに死をDeath to all G7 Countries.」
「西側に死をDeath to the West.」
「日本に死をDeath to Japan.」


[2-6]
私には米国を支持する気は毛頭ありません。
米国の歴史の中で、米国のした唯一正しいことは、ファシストを倒したことです。
米国は多くの犯罪を犯しました。
米国の唯一の正しい行動は、ファシストを倒したことです。
そして、日本はファシストと同盟を結びました。

[Wikipedia]
アメリカに死をDeath to America」
https://en.wikipedia.org/wiki/Death_to_America
アメリカに死をDeath to America」は、「反米政治スローガン」及び「反米政治スローガンを唱えるときの言葉」。
イラン、アフガニスタンレバノン、イエメン、イラクパキスタンで用いられている。
イランでは、1979年イラン革命開始時から用いられている。
イランイスラム共和国の第1代最高指導者であるローホーラ・ホメイニ師がこの言葉を広めた。


[3-1]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。

なぜなら、西側及びG7は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、西側及びG7は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、中国、香港、台湾も打ち倒す。

なぜなら、韓国、中国、香港、台湾は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、韓国、中国、香港、台湾は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。

中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。


[3-2]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。

これは、西側の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、西側が望んだことなのだ。
これこそが、西側の言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。

もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、中国、香港、台湾も打ち倒す。
もちろん、これは、韓国の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、韓国が望んだことなのだ。
これこそが、彼らの言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。

実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。

中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。


[3-3]
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側の自由市場経済から離脱する。
西側の自由市場経済から離脱すれば、
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、「"西側の自由市場経済free-market economy(市場経済Market-Based Economy)"においてのみ、資源価格が上昇すること」からダメージを受けない。

共産主義諸国は、バーター(物々交換)制度で貿易をしている。
「資本の蓄積」および/あるいは「金を貸して利息を取ること」は、断じて共産主義ではない。
共産主義は、断じて、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ることもしない。

これが世界を救うと思う。


[3-4]
こんにちの西側の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。
韓国、中国、香港、台湾の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。

1970年代の石油ショック(1973年オイルショック、及び、1979年オイルショック)がそれを証明している。
(私には、中東における戦争をあおるつもりはありません。産油国OPECを活用すべきです)

例えば、
イスラムは、不労所得を禁じています。
社会主義及び共産主義も、不労所得を禁じています。

中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。


[3-5]
自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などは、地産地消にすべきだ。
自動車産業、冷蔵庫産業、洗濯機産業、発電所の発電機産業など」を「地産地消」にすべきだ。
各国は、自国で自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などを製造すべきだ。

そうすれば、貿易収支は均衡し、債務国は存在しなくなる。

私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

国連本部が米国ニューヨークにあるのは間違いだ。
国連本部は、アフリカか中東か南アジアか東南アジアかラテンアメリカに移動すべきだ。
こんにちの米国には国連本部の場所となる資格がない。

米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連に対し恥ずべき行動をしてきた。
米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連の信用を失墜させてきた。
米国、西側、G7及び日本は、直ちに、国連から除名されるべきだ。


[3-6]
アフリカ、中東、イスラム諸国、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側自由市場経済から離脱する。

共産主義国は、バーター貿易(物々交換貿易)をしている。
資本の蓄積(資本を蓄積すること)、及び、金を貸して利息を取る行為は、断じて、共産主義ではない。
共産主義は、決して、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ったりもしない。

これが世界を救うと思う。

インドは社会主義国です。
社会主義及び共産主義不労所得を禁じています。
イスラム不労所得を禁じています。

私は自称イスラム教徒です。そして、私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

ところで、「資本の蓄積」そして/あるいは「金を貸して利息を取る」のは、共産主義ではありません。
共産主義者は、決して、資本蓄積をしませんし、金を貸して利息を取ったりしません。
(共産主義国では、バーター貿易(物々交換)で貿易をすると思います。)


[3-7]
ドイツは、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
ドイツを、西ドイツ、東ドイツ(、オーストリア)に分割したのは不十分だった。

日本も、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
もしも日本が第2次大戦後、100の都市国家に分割されていたら朝鮮戦争国共内戦ベトナム戦争も起きなかっただろう。
連合国は、日本及びドイツにもっと厳しく当たるべきだった。

ことわざにもある通り、過ちをただすのに遅いということはない。

米国は直ちに50の都市国家に分割されるべきだ。
EUは直ちに解体されるべきだ。

日本、ドイツ、米国、英国、EU、香港、台湾、韓国を直ちに解体しよう。