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Omar Fanon. Patrice Lumumba. Chama Cha Mapinduzi.

欧州連合外務・安全保障政策上級代表ジョセップ・ボレルおよび欧州は、レイシストだ。

欧州連合外務・安全保障政策上級代表ジョセップ・ボレルおよび欧州は、レイシストだ。


欧州連合外務・安全保障政策上級代表ジョセップ・ボレルおよび欧州は、レイシストだ。
ジョセップ・ボレルは、欧州を庭園と呼び、その他の地域をジャングルと呼んだ。


[1]
[Aljazeera]17 Oct 2022
ジョセップ・ボレルは、欧州のレイシストな庭師だ。
EU外交官のトップが、欧州を庭に世界をジャングルにたとえたのは、現実の歴史とは正反対であり、不愉快極まる例え話だ。
https://www.aljazeera.com/opinions/2022/10/17/josep-borrell-eu-racist-gardener
欧州で最も上席の外交官ジョセップ・ボレルが、ベルギーのブリュッセルにある新しい「欧州外交アカデミーEuropean Diplomatic Academy 」での就任式で先週の木曜日した発言を聞いた。私は彼の発言を聞いて、頭を抱え、怒りに震えることしかできなかった。彼は、欧州をガーデンにたとえ、世界をジャングルにたとえたのだ。---けだもののようで恐ろしいジャングルにたとえたのだ。
彼の演説に関しては、彼の無神経な無遠慮さと人種差別という点以外には、彼の暴言にはコメントする価値などなかった。彼の演説で際立っていたのは、彼がレイシストで無神経だという点だけだった。
彼の演説は、知性にかける一方で、月並みの決まり文句が沢山あり、矛盾だらけだった。
ひどい出来で、伝え方が下手だった。
さらに、EUの外交及び安全保障政策の高官代表としては、最低のレベルを新たに更新していた。
欧州の政策がこれ以上悪くなることはないだろうと思っていた矢先に、ボレルは彼の”真実”とやらを公表したのだ。
彼のパターナリスティックパターな”うぬぼれ”により、欧州の将来の外交官となる若者の精神を、まったくの無駄と”うぬぼれ”と選民思想で効果的に毒してしまったのだ。

しかしそもそも、最初の言葉は、女性に対する性差別的発言であった。
ボレルは、まず最初に、カタルーニャの雄牛のような勇敢さで、フェデリカの若い要望を褒め称えた--- フェデリカ・モゲリーニは、彼の前任者でアカデミーのディレクターだ---。
カタルーニャの人々は、雄牛よりもロバを好むので、これはダジャレではありません。

トランプ派がやるように、ボレルは次に、「世界を、真正面から立ち向かわなくてはならない赤い布のように定義し」、彼の聴衆である若者たちに、「欧州が、全方位から直面している差し迫る危機、に気を付けるように」要求した。
彼は、「欧州はガーデンである」しかし「世界のその他の部分の大半はジャングルであり、ジャングルはガーデンを侵略するだろう」と勿体ぶって話した。

「その”か弱いガーデン”は、壁を作っても守れないのだ」とボレルは聴衆見向かって説いた。
なぜ壁では守れないのかか?
「なぜなら、ジャングルは成長する能力が非常に強く、壁はガーデンを守るのに十分なだけ高くすることが決してできないからだ」。

で、解決法はどうなる?
オチはこうだ:「庭師たちはジャングルに行かねばならない。欧州人は、世界のその他の部分にもっと積極的に関与しなくてはならない。さもなくば、世界のその他の部分は、様々な手段や方法で我々を侵略してくるだろう」

この幼稚で恐ろしい比喩について、さらに話を続けることもできますが、しかし、話は理解してもらえたと思います。
結論はこうだ:欧州は、この地球で例外的に素晴らしくて豊かで自由だそうだ。そしてその他の地域は物騒で危険だそうだ。そして、その欧州は、欧州の”庭師たち”が外の世界のジャングルに行き、その外の世界を文明化する手助けをしないと、長くは続かないそうだ。

ボレルの庭師についてのバカげた話は「Constant Gardenerナイロビの蜂」という作品を私に思い出させた。製薬会社に関する実話からインスピレーションを得たジョン・ル・カレの著作と映画である。その製薬会社は、アフリカの地方の貧困層を実験台にして新薬を実験し、その多くを殺したり障がい者にしていた。

現実の世界では、欧州人がアフリカや世界に関与したことで、新薬の実験どころではなく、はるかにひどく、「植民地主義奴隷制度、大虐殺」から、「表ざたにならず見えない影の戦争、天然資源の窃盗」など、あらゆる略奪に及んでいる。

しかし欧州人の記憶は、短いうえに都合の良いものしか覚えていない---特に欧州人自身の歴史になるとだ。
もしも欧州が本当にガーデンだとするならば、それは、大陸全体の墓の上に作られたガーデンである。
二つの世界大戦や、多くの内戦などを含む、何世紀にもわたる、宗教的、民族主義的、帝国主義的戦争を、ボレルは忘れてはならない。--- スペイン内戦や、その結果生じた36年にもわたる血なまぐさい独裁。これらは1975年にようやく終わったばかりである。そしてカタルーニャの外交官ならば、特に知っていなくてはならないことだ。

だからといって、祝うことが無いというわけではない。
欧州は、第2次大戦後、統一、安全、繁栄、という点からはとてもよくやっているが、それは人種差別やファシズムを打ち倒したあとのことである。、
しかし、欧州大陸全土にわたる、ネオファシストや極右政治の勃興と拡散、および、それらがイタリアなどの主要な国で選挙で勝ったことは、警戒すべき理由にこそなれ、うぬぼれる理由にはならない。
しかし再び、ボレルが---ボレルは社会主義者と思われる ---人種差別的な発言を見ると、欧州が左翼に率いられるのと右翼に率いられるので、何の違いがあるのだろうか?
2つの違いに大きな違いはないことになる。

ボレルは同じ演説の中で「ロシアがウクライナを侵攻して以来、欧州は、より強くなり米国から独立した」と、さらに間違えた主張をした。実際は正反対である。
より弱く、より冷たく、より脆弱になったEUは、米国にさらに従属するようになったのだ。

この、独りよがりで、うぬぼれた外交官は、ウクライナの戦争がさらに厳しくなっている意味についても、特に妄想を抱いているように聞こえる。
ロシアの大統領ウラジミール・プーチンは、より戦争が大きくなることを警告すると同時に、外交的解決についても用意があることを表明している。にもかかわらずボレルは、当面、あらゆる外交的解決を拒否することを選択した。
その代わりにボレルは、「もしもモスクワが核兵器ウクライナで使えば、ロシア軍はせん滅されるだろう」と脅したのだ。そして、それが欧州の生存に関してどのような意味を持つかを一切考えていないのだ。

ボレルの人種差別的な暴言と同様、この無謀なエスカレーションは、外交官を目指そうとしているものや、あるいは、それに関連する人々に演説するときに、欧州のトップ外交官が使うには全くもって不適切である。

そしてボレルは、感情を揺さぶり啓発する大言壮語な彼の演説を、最後に英知で締めくくるために、将来の外交官たちに向けて、「頭を高く掲げ、欧州のためだけでなく”ジャングル”のために良き庭師となれ」と言い、外交における狩猟探検がうまくいくことを祈った。

冗談はさておき、ボレルが人種差別を公表したことは、現在の国際情勢において極めて危険である。
欧州でこそ、最初に最も、ボレルを糾弾すべきである。
欧州には、もっと、ましな代表が必要だ。
もっとましな欧州こそが、世界にはふさわしい。今の欧州はクズだ。

我々は皆、自分の蒔いた種を自分で刈るのだ。


[European Union]01.12.2019
ジョセップ・ボレルEU外務・安全保障政策上級代表兼欧州委員会副委員長就任
https://www.eeas.europa.eu/eeas/josep-borrell-assumes-post-eu-high-representative-foreign-affairs-and-security-policy-and-vice_en
11月27日の欧州議会投票と欧州理事会の指名により、新任の欧州委員会が2019年12月1日に就任した。
前スペイン外務大臣ジョセップ・ボレルが、EU外務・安全保障政策上級代表兼欧州委員会副委員長に就任した。


[Wikipedia]
ジョセップ・ボレル
https://en.wikipedia.org/wiki/Josep_Borrell
EU外務・安全保障政策上級代表欧州委員会副委員長
スペイン外務大臣

政治経歴
政治の最前線から後退
2008年12月12日に指名され、2010年1月より「欧州大学院European University Institute」の総長を務めた。


[Wikipedia]
パターナリズム(家父長的態度)
https://en.wikipedia.org/wiki/Paternalism
パターナリズムとは、人あるいは集団の自由や自治を制限し、彼らのためになるように意図すること。
パターナリズムとは、相手の意思に反し、あるいは、相手の意思を無視する、という場合も意味する。あるいは、パターナリズムは、相手に対し優越性を示す行動でもある。
パターナリズム、パターナリスティック、パターナリストは、全て、パターナリズムは良くないという非難の意味を含んで用いられる。例えば、社会的領域、社会的言及、あるいは政治的領域、政治的言及の文脈で、非難の意味を含んで用いられる。
大人に対するパターナリズムは、ときには、その相手を子供とみなして扱っている、ということを意味する。

社会において
* 南北戦争以前の米国南部では、奴隷制度を正当化するためにパターナリムズの概念が用いられた。
女性らは、彼女たち自身を奴隷たちの母あるいは保護者として君臨し、「奴隷たちが奴隷たち自身では得られない利益を与えているのだ」とふるまった。
プランテーションの女支配人たちも、「食料、住まい、好意を労働者に提供することで、労働者たちを文明化している」と、ふるまった。
「解放されたアフリカ系たちは、女支配人の庇護下にあるアフリカ系よりも、貧乏だ」ということを根拠に、そうした状態を正当化した。
「工業地帯の北部の自由なアフリカ系よりも、これら女支配人は、支配下の奴隷に対し、よりよい生活レベルを提供している」として、奴隷解放に対し反論するために、パターナリズムが用いられた。
これら議論の結果として、白人たちは、「奴隷たちが持つ、育児や財産と言った基本的権利を、はく奪した。
* パターナリズムは、女性参政権に対しても用いられた。「女性が参政権を持つと、女性の生活は厳しくなり、家族から切り離されてしまう」と、女性参政権反対派は主張したのだ。[citation needed]


[Wikipedia]
カタルーニャの歴史
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Catalonia
20世紀中、カタルーニャは様々な程度の住民自治を享受できたし、また、奪われもした。
スペイン第二共和政(1931年-1939年)は、カタルーニャ自治を認め、カタルーニャ語公用語とした。
スペインのその他の地域と同様にカタルーニャ(スペインの諸地域は次々に革命を経験していた)も、1936年から1939年のスペイン内戦で、共和国を防衛するために戦った。
共和国が敗北すると、フランシスコ・フランコの独裁体制が誕生し、厳しい弾圧を開始し、カタルーニャ自治を弾圧した。
スペインは打撃を受け、世界貿易から切り離され、政権は自立政策を進めたので、工業の中心地であったカタルーニャは多大なダメージを受けた;カタルーニャの経済的回復は遅かった。

共和国と自治
左:フランセスク・マシアー、再建されたカタルーニャ州政府初代大統領(1931年–1933年)。
右:リュイス・クンパニィス、第2代大統領(1933年–1940年)。フランコ体制に処刑された。

ERC指導者による簡潔なカタルーニャ共和国成立宣言の後、フランセスク・マシアー、カタルーニャ州政府大統領が、自治政府として再建された。1932年9月9日、原案を大きく修正する多くの議論と政治的困難を乗り越えたカタルーニャ自治憲章が共和国議会により承認された。
この自治憲章は、完全ではないものの強い自治を認めており、カタルーニャだけでなくスペインにおいても、カタルーニャ語公用語として宣言していた。
数年後、バスク地方に対する同様の憲章も承認された。

カタルーニャ議会は立法活動を再建し、ベルリンで開かれる1936年夏季オリンピック(このオリンピックはナチの支配下にあった)に対抗して、カタルーニャ政府はバルセロナで人民オリンピックを準備した。しかし就任式を予定していた同日の7月19日に、スペイン軍がクーデターを起こし、スペイン内戦が起きた。

スペイン内戦
現代 (1939年–現在)
フランコ時代(1939年–1975年)のカタルーニャは、スペインのその他の地域と同様、民主主義的自由を廃止され、種々の政党が禁止され迫害され、徹底して検閲され、全ての左翼組織が禁止された。
このことは、カタルーニャでは、再び、自治憲章が廃止され、特にカタルーニャの制度や法律が全面的に禁止されることを意味した。
化tルーニャ後は弾圧の対象とされ、家庭内でしか使用できなくなった。
教育、政府、マスコミにおいては、カスティーリャ語(スペイン語)が唯一の言語となった。
最初の数年で、全ての抵抗勢力は精力的に弾圧され、刑務所は政治犯でいっぱいになり、何千人ものカタルーニャ人が亡命した。
さらに、1938年から1953年の間に、4000年のカタルーニャ人が処刑された。処刑された人々の中には、元大統領のリュイス・クンパニィスもいた(ドイツに占領されたフランスからスペインに亡命していた)。


[Wikipedia]
バルセロナ
https://en.wikipedia.org/wiki/Barcelona
2    歴史
2.5    スペイン内戦とフランコ時代バルセロナおよびカタルーニャは、革命共和国政権側であった。
多くの企業や公共サービスが、CNTやUGTの組合により集団化された。
1939年1月26日にバルセロナが陥落すると、フランス国境へと逃げた市民が大量に亡命した。
フランコのクーデタに対するバルセロナ市民の抵抗は、共和国政府崩壊後もその効果を永続させた。
カタルーニャ自治憲章は廃止され、カタルーニャ語の公の場での使用は弾圧された。


[Wikipedia]
ゲルニカ
https://en.wikipedia.org/wiki/Guernica
ゲルニカGuernica、公式名称は(バスク語を反映して)Gernika、は、スペインのビスカヤ県のバスク州自治州にある町である。
1937年4月26日、ドイツ空軍の爆撃された。これは世界初の空爆の一つである。
この攻撃は、パブロ・ピカソの絵ゲルニカにインスピレーションを与えた。この絵は、攻撃に対する彼の怒りを表したものである。


[Wikipedia]
バスク地方
https://en.wikipedia.org/wiki/Basque_Country_(greater_region)
バスク地方は、バスク人の故郷に与えられた名前である。
バスク地方は、ピレネー山脈の西方に位置し、ビスケー湾沿岸のフランスとスペインの国境にまたがる。
5    人口動態
5.4    言語
現在、スペインにあるバスク地方で支配的な言語はスペイン語で、フランスにあるバスク地方で支配的な言語はフランス語である。
歴史の仮定において民族国家を樹立しようとしたので、多かれ少なかれスペイン政府もフランス政府も、バスク語の使用を強力に妨害しようとし、言語的アイデンティティーを猛烈に妨害しようとした。
公教育でこの言語が選ばれたのが最も明白なこの現象の表れであり、バスクの現状に対し、確かに効果があったのだ。
しかし、フランシス・コフランコ政権下では、フランコ政権はバスク民族自決主義を弾圧し、バスク語の使用を制限した。
バスク語アカデミー(Euskaltzaindia )の活動ですらも、厳しく制限された。


[Wikipedia]
フランスバスク地方French Basque Country
https://en.wikipedia.org/wiki/French_Basque_Country
フランスバスク地方、あるいは、北バスク地方、は、フランスのピレネー=アトランティック県の西部に位置する。
2017年1月1日から、「バスクのコミュニティー自治体Basque Municipal Community」を構成し、Jean-Rene Etchegarayが代表をしている。

4    文化
4.1    言語
バスク語も、あるいは他のどんな地方言語も、例えば、カタルーニャ語ブルトン語オック語も、フランスでは公用語として認められていない。
フランス憲法第2条によると、「フランス共和国の言語はフランス語」である。そして、地方言語を好意用語に加えようとする試みもいくつかあったが、「我々の伝統の一部である地方言語をに関する法案"with respect to the regional languages that are part of our heritage"」という提案は、57が反対、44が賛成で、否決された。


[Wikipedia]
「カタロニア左翼共和党Republican Left of Catalonia」
https://en.wikipedia.org/wiki/Republican_Left_of_Catalonia
「カタロニア左翼共和党Republican Left of Catalonia」は、スペイン自治州にある、カタルーニャ独立を支持する、社会民主党バレンシア自治州バレアレス諸島自治州、フランスの県であるピレネー=オリアンタル県(北部カタルーニャ)二も存在している。
この党は、「Catalan Countriesカタルーニャ語圏」として知られる地域における、フランスおよびスペインからの独立を目指す独立運動の、主要なスポンサーでもある。最近では、カタルーニャ共和国を建設することを目標としている。


[Wikipedia]
バスク地方出身者のリスト
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_from_the_Basque_Country
2    有名な、バスク地方出身チリ人
シモン・ボリパルSimon Bolivar
エルネスト・チェ・ゲバラErnesto Che Guevara


[Wikipedia]
バスク系チリ人
https://en.wikipedia.org/wiki/Basque_Chileans
2    有名なバスク系チリ人Notable Basque-Chileans
サルバドール・アジェンデSalvador Allende


[2-1]
ウラジミール・レーニン毛沢東ホー・チ・ミン、フランツ・オマール・ファノン、エメ・セゼールチェ・ゲバラは偉大だ。、
私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。


[2-2]
我々には永続的な平和が必要だ。
少なくとも以下の条件が、最低条件だ。

* 西側諸国の重工業全ての解体・廃止 (これはまさに、1945年に、連合国が枢軸国に望んだこと)
* 西側諸国の金融資本全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の重工業全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の金融資本全ての解体・廃止
* NATOの解体・廃止
* EUの解体・廃止
* 全ての西側諸国の全ての軍事力の解体・廃止

西側においては、西側のカルテル及び西側の財閥が、楽して金儲けをするために戦争を引き起こしている。(これは軍産複合体と呼ばれる)
そしてこれはまさに、ウラジミール・レーニンが指摘したことだ。


[2-3]
西側諸国は、アフリカ、中東、東南アジア、南アジア、中南米、東欧を植民地にしている。
西側諸国は、帝国主義者ファシスト植民地主義者だ。

全世界は、反西側で決起すべきだ。
原油価格を上昇させよう。
天然ガス価格を上昇させよう。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。

もちろん、我々は、この機会を利用し、独立を得るために戦う。
もちろん、こんにち、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」は、悪だ。
「アフリカ、中東、イスラム、南アジア、東南アジア、中南米「は、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」の邪悪な行いにより、被害を被ってきた。


[2-4]
アメリカに死をDeath to America.」
「G7諸国全てに死をDeath to all G7 Countries.」
「西側に死をDeath to the West.」
「日本に死をDeath to Japan.」


[2-5]
私には米国を支持する気は毛頭ありません。
米国の歴史の中で、米国のした唯一正しいことは、ファシストを倒したことです。
米国は多くの犯罪を犯しました。
米国の唯一の正しい行動は、ファシストを倒したことです。
そして、日本はファシストと同盟を結びました。

[Wikipedia]
アメリカに死をDeath to America」
https://en.wikipedia.org/wiki/Death_to_America
アメリカに死をDeath to America」は、「反米政治スローガン」及び「反米政治スローガンを唱えるときの言葉」。
イラン、アフガニスタンレバノン、イエメン、イラクパキスタンで用いられている。
イランでは、1979年イラン革命開始時から用いられている。
イランイスラム共和国の第1代最高指導者であるローホーラ・ホメイニ師がこの言葉を広めた。


[3-1]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。

なぜなら、西側及びG7は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、西側及びG7は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、中国、香港、台湾も打ち倒す。

なぜなら、韓国、中国、香港、台湾は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、韓国、中国、香港、台湾は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。


[3-2]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。

これは、西側の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、西側が望んだことなのだ。
これこそが、西側の言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。

もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、中国、香港、台湾も打ち倒す。
もちろん、これは、韓国の自動車企業を打ち倒す。
もちろんこれは、中国の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、中国及び韓国が望んだことなのだ。
これこそが、彼らの言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。

実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。


[3-3]
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側の自由市場経済から離脱する。
西側の自由市場経済から離脱すれば、
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、「"西側の自由市場経済free-market economy(市場経済Market-Based Economy)"においてのみ、資源価格が上昇すること」からダメージを受けない。

共産主義諸国は、バーター(物々交換)制度で貿易をしている。
「資本の蓄積」および/あるいは「金を貸して利息を取ること」は、断じて共産主義ではない。
共産主義は、断じて、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ることもしない。

これが世界を救うと思う。


[3-4]
こんにちの西側の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。
韓国、中国、香港、台湾の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。

1970年代の石油ショック(1973年オイルショック、及び、1979年オイルショック)がそれを証明している。
(私には、中東における戦争をあおるつもりはありません。産油国OPECを活用すべきです)

例えば、
イスラムは、不労所得を禁じています。
社会主義及び共産主義も、不労所得を禁じています。


[3-5]
自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などは、地産地消にすべきだ。
自動車産業、冷蔵庫産業、洗濯機産業、発電所の発電機産業など」を「地産地消」にすべきだ。
各国は、自国で自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などを製造すべきだ。

そうすれば、貿易収支は均衡し、債務国は存在しなくなる。

私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

国連本部が米国ニューヨークにあるのは間違いだ。
国連本部は、アフリカか中東か南アジアか東南アジアかラテンアメリカに移動すべきだ。
こんにちの米国には国連本部の場所となる資格がない。

米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連に対し恥ずべき行動をしてきた。
米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連の信用を失墜させてきた。
米国、西側、G7及び日本は、直ちに、国連から除名されるべきだ。


[3-6]
アフリカ、中東、イスラム諸国、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側自由市場経済から離脱する。

共産主義国は、バーター貿易(物々交換貿易)をしている。
資本の蓄積(資本を蓄積すること)、及び、金を貸して利息を取る行為は、断じて、共産主義ではない。
共産主義は、決して、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ったりもしない。

これが世界を救うと思う。

インドは社会主義国です。
社会主義及び共産主義不労所得を禁じています。
イスラム不労所得を禁じています。

私は自称イスラム教徒です。そして、私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

ところで、「資本の蓄積」そして/あるいは「金を貸して利息を取る」のは、共産主義ではありません。
共産主義者は、決して、資本蓄積をしませんし、金を貸して利息を取ったりしません。
(共産主義国では、バーター貿易(物々交換)で貿易をすると思います。)


[3-7]
ドイツは、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
ドイツを、西ドイツ、東ドイツ(、オーストリア)に分割したのは不十分だった。

日本も、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
もしも日本が第2次大戦後、100の都市国家に分割されていたら朝鮮戦争国共内戦ベトナム戦争も起きなかっただろう。
連合国は、日本及びドイツにもっと厳しく当たるべきだった。

ことわざにもある通り、過ちをただすのに遅いということはない。

米国は直ちに50の都市国家に分割されるべきだ。
EUは直ちに解体されるべきだ。

日本、ドイツ、米国、英国、EU、香港、台湾、韓国を直ちに解体しよう。