IbrahimLumumbaOmar’s blog

Omar Fanon. Patrice Lumumba. Chama Cha Mapinduzi.

ムハンマド・モサデク

「モハマド・モサデクMohammad Mosaddegh」


「モハマド・モサデクMohammad Mosaddegh」
米国は、民主的に選出されたイラン政府を転覆させた。
2000年には、当時の米国国務省長官のマデレーン・オルブライトは、この介入について語った。
米大統領(バラク・オバマ)も2009年のカイロにおける演説で、イランのクーデターに米国が関与したことを認めた。

米国は、冷戦を口実に中東を植民地にした。米国は冷戦を悪用し、中東を植民地にした。
米国は、植民地独立戦争を、代理戦争と言い換えた。
米国は悪の帝国だ。
西側は悪の帝国だ。


[1-1]
[Wikipedia]
「モハマド・モサデクMohammad Mosaddegh」
https://en.wikipedia.org/wiki/Mohammad_Mosaddegh
「モハマド・モサデクMohammad Mosaddegh」(1882年6月16日 – 1967年3月5日)は、イランの政治家で、著作者で、弁護士で、第16回議会により選出され、1951年から1953年までイラン首相を務めた人物である。
モサデクは、1923年からイランの国会議員で、1952年の第17回イラン議会の激しい選挙を経て、1953年にモサデクの政府が、カーミットルーズベルト・ジュニア(Kermit Roosevelt Jr.)率いる英国情報機関(MI6)および米国情報機関(CIA)により支援されたイランクーデターにより転覆されるまで、議員として勤めた。

モサデクは政権から引きずり降ろされる前に、モサデク政権は、例えば、社会保障制度、農地改革、”土地賃貸料への課税”を導入を含む増税などの、幅広い社会的対策・政策を導入した。
モサデク政権の最も重要な政策は、イラン石油産業の国有化であった。このイラン石油産業は、1913年以来、英国により、ペルシャの土地に、「アングロ・ペルシャ石油会社Anglo-Persian Oil Company (APOC/AIOC)」のちのぶりて一種石油(British Petroleum, BP)を通じて建設した。

政権が転覆された後、モハンマド・レザー・パフラヴィーが権力の座に復帰し、パフラヴィーは、「1954年コンソーシアム契約Consortium Agreement of 1954」を英国と交渉し、その結果、1979年まで、イランの石油生産の所有権をイランと西側企業の間で分割することになった。
モサデクは、3年間投獄され、その後、死ぬまで自宅軟禁され、その後は、政治的暴動を防ぐために自宅に埋葬された。
2013年、米国政府は公式に、モサデク政権に対するクーデターで米国が果たした役割(これには、抗議活動家にカネを払ったり役人に賄賂を払う、などを含む)を、米国の外交戦略の一部と認めた。


[CNN]August 19, 2013
公開された機密文書において、CIAは、1953年イランクーデターでCIAが果たした役割を認めている。
https://edition.cnn.com/2013/08/19/politics/cia-iran-1953-coup/index.html 
(CNN) イランのムハンマド・モサデク首相が転覆させられてから60年たち、機密解除されたCIAの文書が「CIAが1953年クーデターに関与していた」と認めていた。
月曜日にこの文書を公開した独立研究機関「国家安全保障アーカイブNational Security Archive」によると、「この機密解除は、CIAがこのイランのクーデターに関与したことを初めて公式に認めたものだと考えている」とのこと。
2011年に機密解除され、「情報公開法Freedom of Information Act」に基づいてジョージワシントン大学の研究グループに渡されたこの文書は、1970年代半ばにCIAがイランの内部の歴史について作成したもので、モサデクを失脚させるのにCIAがいかに働いたかについて詳細に描写されている。
この文書を精査した「国家安全保障National Security Archive research institute編集者のMalcom Byrne」が指摘した重要な一節に、イランのクーデターにCIAが関与したことが詳しく説明されている。
"モサデクおよびモサデクの「民族戦線National Front」内閣を追放した軍事クーデターは、米国の外交政策の活動の一つとして、米政府最高レベルの立案と承認を受け、CIAの指揮下で実行された"と、この文書には、モサデクのつづりを変えて、書かれている。
これはCIAにとっては初の正式な承認かもしれないが、米国の役割は長いこと知られていた。
大統領のバラク・オバマは2009年のカイロにおける演説で、イランのクーデターに米国が関与したことを認めた。
"冷戦の最中に、米国は、民主的に選出されたイラン政府を転覆させるのに役割を果たした"と、大統領のオバマは言った。
2000年には、当時の米国国務省長官のマデレーン・オルブライトは、この介入について語り、また、同年、「リークされた1954年にCIAが書いた政権転覆についての報告書」とニューヨークタイムズが主張する報告書を記事としてニューヨークタイムズは掲載した。
1951年、イランの人々は、モサデクを首相に選出した。
即座に、モサデクはイランの石油生産国有化に動いた --- この動きは、米国および英国に対し深刻な一撃強烈な一撃となったであろうし、ソ連にとっては勝利となったであろう。
イランとの石油交渉に失敗や、そしてその他の多くの問題により、米国は"イランは鉄のカーテンの向こう側へ行ってしまう危険が本当にある"と懸念した。
"そうなれば、冷戦においてソ連が勝利したと言うことになり、西側が中東で大きく後退したことになる"
この作戦の主要な立案者であるDonald N. Wilberは、モサデク政権崩壊後数か月して、こう記録している。
"これがTPAJAX計画の目的であった" --- TPAJAXは、この計画のコードネームだ --- "モサデク政権を崩壊させること;シャーの名声と権力を復活させるため"
モサデク政権が選挙で選出されたすぐあと、CIAは政権転覆計画を開始した。
クーデターの目的は、シャー・ムハンマド・レザー・パフラヴィーの権力を高め、新たな首相 --- ファズロラ・ザヘディ --- を任命することであった。
CIAの文書によると、クーデター以前にCIAは --- 英国の秘密情報部とともに --- プロパガンダを使って反モサデクの熱狂を扇動するのを手伝った。
"イランでは、プロパガンダをするCIAとSISのスパイたちが、あらゆる手段で、報道機関、ビラ、テヘランの聖職者を通じ、モサデク政府を弱体化させるための試みを、どんどん激化して実行していった。"とWilberは記した。
1953年8月19日、「CIAおよび英国の情報機関が、シャー派勢力をまとまるのを手伝い、モサデクに対し大きな抗議運動を組織した」ことで、クーデターが本格的に実行された。
「陸軍はすぐにシャー派の運動に参加し、その日の昼までにはテヘランおよび一部の地方が、親シャー派の街頭集団および軍部隊に支配されたことが明白になった」とWilberは書いている。
“By the end of 19 August … members of the Mossadeq government were either in hiding or were incarcerated.”
In order to provide Zahedi, the country’s new prime minister, with some stability, the “CIA covertly made available $5,000,000 within two days of Zahedi’s assumptions of power.”
After the coup, Mossadegh was sentenced to death, but the sentence was never carried out. The former leader died in Tehran in 1967.
Even 60 years removed, the 1953 coup still hangs over U.S.-Iran relations.
Iranian politicians and religious leaders still use the coup as a way to foment anti-American sentiment.
Mahmoud Ahmadinejad, Iranian president from 2005 until earlier this year, demanded apologies from the United States for “crimes” the CIA committed in Iran during the 1953 coup.
“The issue is more than academic,” wrote Byrne of George Washington University. 
“Political partisans on all sides, including the Iranian government, regularly invoke the coup to argue whether Iran or foreign powers are primarily responsible for the country’s historical trajectory, whether the United States can be trusted to respect Iran’s sovereignty, or whether Washington needs to apologize for its prior interference before better relations can occur.”


[1-2]
[Wikipedia]
Freedom of Information Act (United States)
https://en.wikipedia.org/wiki/Freedom_of_Information_Act_(United_States)
Long title    An Act to amend section 3 of the Administrative Procedure Act, chapter 324, of the Act of June 11, 1946 (60 Stat. 238), to clarify and protect the right of the public to information, and for other purposes

The Freedom of Information Act (FOIA), 5 U.S.C. § 552, is the United States federal freedom of information law that requires the full or partial disclosure of previously unreleased or uncirculated information and documents controlled by the U.S. government upon request.
The act defines agency records subject to disclosure, outlines mandatory disclosure procedures, and includes nine exemptions that define categories of information not subject to disclosure.
The act was intended to make U.S. government agencies' functions more transparent so that the American public could more easily identify problems in government functioning and put pressure on Congress, agency officials, and the president to address them.
The FOIA has been changed repeatedly by both the legislative and executive branches.
The FOIA is commonly known for being invoked by news organizations for reporting purposes, though such uses make up less than 10% of all requests—which are more frequently made by businesses, law firms, and individuals.

 

 

 

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[CNN]2013.08.22 
イランの53年政変はCIA主導、初の公式文書確認 米大学
https://www.cnn.co.jp/usa/35036278.html

(CNN) 米ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館は22日までに、イランのモハマド・モサデク政権が倒れた1953年のクーデターは米中央情報局(CIA)が主導したことを示す機密文書を公開した。

CIAがクーデターを仕掛けたことを明確に示す初の公式文書としている。
文書は2011年に機密指定が解除され、同公文書館は情報公開法に基づき入手していた。
この文書は1970年代半ばからのCIAのイラン介入の歴史の記述の中で見つかった。

文書を精査した公文書館の編集者によると、CIAはこの中でクーデターへの関与に詳しく言及。
「モサデク首相率いる国民戦線内閣を打倒した軍事クーデターは米外交政策の一環としてCIAが率先して実行された」と明言。
クーデターは米政府の最高レベルも承認したとしている。

クーデター画策はモサデク氏が1951年に首相に就任した直後から始められた。
同氏は政権を握った後、即座に石油会社の国有化を図り、米国と英国は旧ソ連に利する動きとの警戒を強めた。
米国は当時、石油政策や他の多くの問題についてイランと交渉していたが成果は得られず、イランは旧ソ連になびくとの危惧(きぐ)を深めていた。

CIAによるクーデター謀議は「TPAJAXプロジェクト」と暗号を持つ作戦で、モサデク政権の駆逐、当時のパーレビ国王の威信や権力基盤の強化をにらみ、ザヘディ将軍を首相にかつぐのが目的だった。

クーデターの準備には英国の秘密情報機関も加担し、プロパガンダ戦術で反モサデク首相の世論醸成を狙った。
メディア、宣伝ビラや僧職者を通じ、モサデク政権の弱体化を狙ってあらゆる手段を講じたという。

クーデターは1953年8月19日、CIAと英情報機関が国王支持勢力を結集させ、大規模な反政府デモを実現させたことで成功。
文書によると、イラン陸軍も国王支持に転じ、同日昼までには首都テヘランや他の州などで国王支持者が路上に集まり、陸軍部隊がこれに同調したことで大勢が決まった。
19日夜にはモサデク政権の要人らは逃走もしくは監禁される事態となった。

CIAはまた、ザヘディ首相の権力基盤の強化などを狙い、首相就任の2日内に500万米ドルの資金援助を密かに行ったという。
クーデター後、モサデク氏は死刑判決を受けたが、執行はされなかった。1967年にテヘランで死去している。

クーデターへの米政府の関与はこれまで再三取り沙汰されていた。
オバマ大統領は2009年、エジプト・カイロでの演説で「冷戦のさなか、米国は民主的に選出されたイランの政権の転覆に関わった」と認めた。
オルブライト元国務長官も2000年、米国のクーデターへの関与に言及していた。

クーデターは米国、イラン両国関係には今なお影を落としており、イランの政治家や宗教指導者は反米感情を煽る材料にも使っている。
05年から今年まで大統領を務めたアフマディネジャド氏はクーデターでCIAが犯した犯罪への謝罪を米国に要求もしていた。