IbrahimLumumbaOmar’s blog.I will be a Red Guards.

Omar Fanon. Patrice Lumumba. Chama Cha Mapinduzi. Japan must apologize and pay compensation payments for sex slaves during and before World War II. I am a Maoist and Leninets.日本は悪。米国は悪。西欧は悪。

ローマ問題。中国、ソ連、共産主義国家はこの問題を昔から指摘。

ローマ問題。中国、ソ連、共産主義国家はこの問題を昔から指摘。


ローマ問題。中国、ソ連、共産主義国家はこの問題を昔から指摘。


[1-1]
ローマ問題。中国、ソ連、共産主義国家はこの問題を昔から指摘。

下のニュースも嘘。
ローマ教皇は、ファシストと常に仲が良かった。
しかも、ローマ教皇は、ファシストと仲が良かったことを謝罪も賠償もしていない。

西側先進国は全員プロレスで嘘をついている。
全ての西側先進国は、ゴミ。
全ての西側先進国は、発展途上国に謝罪と賠償をしろ。

[BBC]2026年4月14日
トランプ氏の教皇批判、メローニ伊首相は「容認できない」と盟友を非難
ttps://www.bbc.com/japanese/articles/c4gvvx8jlrro
イタリアの著名なカトリック評論家マッシモ・ファッジョリ氏は「ヒトラーやムッソリーニでさえ、これほど直接的に、かつ公然と教皇を攻撃することはなかった」と述べた。


[1-2]
イタリアは、19世紀に教皇領などを占領し、さらに各領邦国家を統合する形で成立。
その後1929年に、ローマ教皇とイタリアは和解した。
1929年ラテラノ条約により、バチカン市国が建国された。
1929年ラテラノ条約は、ムッソリーニとローマ教皇の間で結ばれた。

この和解は教会と国家の間に平和をもたらし、サン・ピエトロ大聖堂へと続く「和解の道(Via della Conciliazione)ヴィア・デッラ・コンチリアツィオーネ」の建設によって象徴された。
「和解の道(Via della Conciliazione)ヴィア・デッラ・コンチリアツィオーネ」は、イタリアのローマにある主要な大通りで、サンタンジェロ城からバチカン市国のサン・ピエトロ広場へと続いています。
1936年から1950年にかけて、ベニート・ムッソリーニのファシスト政権によって、イタリア国家とローマ教皇庁の関係を和解させた1929年のラテラノ条約を記念して建設されました。

ムッソリーニは、ローマの中心部(サンタンジェロ城)とカトリック教会の中心地を結ぶ、壮大なサン・ピエトロ大聖堂への壮大なアプローチを創り出すことを目指しました。
この通りは、ムッソリーニとピウス11世教皇の間で締結されたラテラノ協定(1929年)を記念して設計されました。この協定により、独立したバチカン市国が誕生し、「ローマ問題」が解決されました。
今日では巡礼者や観光客にとって重要な大通りとなっている一方で、教会権力とファシスト時代の建築様式が融合した政治的・文化的緊張の場としても機能している。
1929年はムッソリーニが支配していた時代。


[1-3]
ドイツは、プロテスタント国家。
1870年普仏戦争の結果、1871年にドイツ帝国が成立。
ドイツ帝国は、文化闘争を引き起こし、カトリックと対立。
1933年に、ドイツはローマ教皇と和解した。
1933年、ドイツはナチが支配していた時代。


[1-4]
ローマ教皇は、ファシストと常に仲が良かった。
しかも、ローマ教皇は、ファシストと仲が良かったことを謝罪も賠償もしていない。

中国およびソ連および共産主義国家は、この問題を昔から指摘していたと思う。
ああ中国およびソ連および共産主義国家は素晴らしい。

これらは、高校の世界史で習う。

もちろん、ドナルド・トランプもクズだし、イスラエルもクズだ。

更にいうと、私はアジア人だ。
だから、私は、パリサイ人が誰だか知らない。
西側は常に、西側が世界の中心だと思っている。
それは、非常に、無意味でナンセンスで迷惑で面倒くさい。


[1-5]
[Wikipedia]
ラテラノ条約
https://en.wikipedia.org/wiki/Lateran_Treaty
背景    イタリア半島におけるバチカン市国の成立
調印日    1929年2月11日
場所    イタリア、ローマ
発効日    1929年6月7日
条件    ローマ教皇庁およびイタリア王国による批准
調印者    ピエトロ・ガスパリ、ベニート・ムッソリーニ
ラテラノ条約は、1929年ラテラノ協定の構成要素の一つで、長年に渡るローマ問題を解決するための、ヴィットリオ・エマニュエル3世およびベニート・ムッソリーニ支配下のイタリアと、教皇ピウス11世支配下のローマ教皇庁の間で、締結された合意である。
この条約は、バチカン市をローマ教皇庁の主権下にある独立国として認めた。
同時にイタリアは、教皇領喪失に対する金銭的補償をカトリック教会に払うことを合意した。
1948年、ラテラノ条約は、イタリア共和国とカトリック教会の関係を規定するものとして、イタリア憲法に公認された。
1984年にラテラノ条約は大幅に改正され、カトリックがイタリアの唯一の国教であるという地位は終了したものの、バチカン市は独立した主権を持つ存在として現在も存続している。
ラテラノ条約および関連する協定は、1929年2月11日に、それら条約および協定が調印された場所であるラテラノ宮殿に、ちなんで、名付けられた。
イタリア議会はそれら条約および協定を1929年6月7日に批准した。


[Google AI]
The Kingdom of Italy was established between 1861 and 1870, culminating in the annexation of Rome, which ended the Pope's temporal power and initiated a 60-year conflict known as the "Roman Question". The Church of Rome refused to recognize the new state, leading to a standoff. Reconciliation occurred via the Lateran Pacts of 1929, which created the independent Vatican City State and normalized relations between the Catholic Church and Italy. 
(1) Establishment of Italy (1861–1870) 
  *   Unification (Risorgimento): The Kingdom of Italy was proclaimed on March 17, 1861, with Victor Emmanuel II as king, though it initially excluded Rome and Venice.
  *   Seizure of Rome (1870): Italian forces entered Rome on September 20, 1870, ending the centuries-old temporal power of the Papal States, which were then annexed into the Kingdom of Italy.
  *   National Capital: Rome was declared the capital of Italy, despite the Pope's refusal to accept the loss of the city. 
(2) Conflict Between Italy and the Church of Rome (1870–1929) 
  *   The "Roman Question": Popes Pius IX and his successors refused to recognize the legitimacy of the Italian state, branding themselves "prisoners in the Vatican".
  *   Hostility: The Church forbid Catholics from participating in Italian politics, and the state adopted secular, anti-clerical policies.
  *   Standoff: The Pope refused the 1871 "Law of Guarantees" offered by Italy, which provided money but not true territorial sovereignty. 
(3) Reconciliation (1929)
  *   Lateran Pacts (1929): Negotiated between Pope Pius XI and Benito Mussolini, these agreements formally ended the 60-year conflict.
  *   Vatican City State: The agreements created a tiny, independent sovereign state, the Vatican City, giving the Pope total independence.
  *   Concordat: The Pacts included a concordat that established Catholicism as the state religion in Italy, authorized religious education in schools, and recognized Catholic marriages.
  *   Reconciliation: The settlement brought peace between church and state, symbolized by the creation of the Via della Conciliazione (Road of Reconciliation) leading to St. Peter's Basilica. 
[Google AI]
イタリア王国は、1861年から1870年の間に建国され、そのクライマックスはローマの併合であり、ローマ併合により教皇の世俗権力は終焉を迎え、"ローマ問題"として知られる60年におよび紛争が始まった。ローマ教会は、新しい国家を承認することを拒否し、膠着状態に陥った。1929年ラテラノ協定により和解が成立し、これにより独立したバチカン市国が誕生し、またカトリック教会とイタリアの関係が正常化された。
(1) イタリアの建国 (1861年 – 1870年)
  *   イタリア統一運動 (リソルジメント):ヴィットリオ・エマニュエル2世を国王とするイタリア王国は1861年3月17日に宣言されたが、当初はローマとベネチアは含まれていなかった。
  *   ローマ占領 (1870年):イタリア軍は、1870年9月20日にローマに侵入し、何世紀にも渡った教皇領の世俗権力を終了させ、教皇領をイタリア王国に併合した。
  *   首都:教皇はローマ市が失われたことを受け入れなかったものの、ローマはイタリアの首都と宣言された。
(2) イタリアとローマ教会の他入いつ (1870年 - 1929年)
  *   ローマ問題:教皇のピウス9世と彼の後継者たちは、イタリアという国家の正当性を認めず、自分たち自身を「バチカンの囚人」と名付けた。
  *   敵対:ローマ教会は、カトリック教徒がいたチアの政治に参加することを禁じ、イタリアは、非宗教的で反教権主義的な政策を採用した。
  *   膠着状態:教皇は、イタリアによる1871年保証法 (Law of Guarantees) を拒否した。この保証法は、金銭は提供するものの、真の領土的主権は認めなかった。
(3) 和解 (1929年)
  *   ラテラノ協定 (1929年):教皇ピウス11世とベニート・ムッソリーニの間で交渉されたこれらの協定により、60年続いた対立は正式に終了した。
  *   バチカン市国:これらの合意により、小さく独立した主権国家である、バチカン市国が誕生し、教皇は完全な独立を得た。
  *   政教条約 (コンコルダートConcordat) :これら協定には、カトリックをイタリアの国教とし、学校で宗教教育をすることを認め、カトリック教徒の結婚を認める、
という政教条約が含まれる。
  *   和解:この合意は、教会と国との間の平和をもたらし、サン・ピエトロ大聖堂へと続く、「和解の道 (Via della Conciliazione、Road of Reconciliation)」 の建設によって象徴された。


[Google AI]
Via della Conciliazione (Road of the Conciliation) is a major avenue in Rome, Italy, leading from Castel Sant'Angelo to St. Peter's Square in Vatican City. It was constructed between 1936 and 1950 by the fascist regime of Benito Mussolini to celebrate the 1929 Lateran Treaty, which reconciled relations between the Italian State and the Holy See. 
(1) Mussolini's Role and Motivation
  *    Symbolic Power: Mussolini aimed to create a monumental approach to St. Peter's Basilica, establishing a direct, grand connection between the heart of Rome (Castel Sant'Angelo) and the center of the Catholic Church.
  *    Lateran Accords (1929): The street was designed to memorialize the Lateran Pacts between Mussolini and Pope Pius XI, which settled the "Roman Question" by creating the independent Vatican City State.
  *    The First Strike: On October 23, 1936, Mussolini ceremonially inaugurated the project by delivering the first strike with a pickaxe to the buildings slated for demolition. 
(2) Construction and Destruction (1936–1950)
  *    Demolition of the Spina di Borgo: To build the broad avenue, a dense, medieval neighborhood known as the Spina di Borgo (the "spine") was entirely demolished.
  *    Architects: The project was designed by architects Marcello Piacentini and Attilio Spaccarelli.
  *    Architecture & Design: Because the existing, surviving buildings on either side of the new road did not align perfectly, the architects added rows of obelisk-shaped streetlamps along the avenue to create the optical illusion of a perfectly straight thoroughfare.
  *    Completion: While started under Mussolini in 1936, the project was not fully completed until 1950, partially delayed by World War II. 
(3) Historical Context and Legacy
  *    Fascist Urban Planning: The construction of Via della Conciliazione was part of a larger, broader, and often controversial Fascist initiative to modernize Rome and remodel its historical center to reflect regime power.
  *    Loss of Heritage: The project destroyed significant medieval neighborhoods and historic structures in the Borgo area.
  *    Function: While it serves as a massive thoroughfare for pilgrims and tourists today, it also functions as a site of political and cultural tension, highlighting the merge of ecclesiastical authority and fascist-era architecture. 
[Google AI]
「和解の道(Via della Conciliazione)ヴィア・デッラ・コンチリアツィオーネ」は、イタリアのローマ市にある大きな道路で、サンタンジェロ城からサン・ピエトロ大聖堂の広場まで続いている。イタリア国とローマ教皇庁の関係を和解させた、1929年ラテラノ条約を記念するために、ベニート・ムッソリーニのファシスト体制により、1936年から1950年にかけ建設された。
(1) ムッソリーニの役割と動機
  * 象徴的な力:サン・ピエトロ大聖堂へと至る記念碑的な道路を作り、ローマの中心 (サンタンジェロ城) とカトリック教会の中枢の間を直接的に壮大につなぐことを目的とした。
  * ラテラノ協定 (1929年):この道路は、独立したバチカン市国を作ることにより"ローマ問題"を解決した、ムッソリーニと教皇ピウス11世の間のラテラノ協定を記念するために設計された。
  * 最初の一撃:1936年10月23日、ムッソリーニは、取り壊し予定の建物にツルハシで最初の一撃を加えることで、この計画を式典的に正式に開始した。
(2) 建設と破壊 (1936年‐1950年)
  * Spina di Borgoの取り壊し:広い大通りを作るために、「Spina di Borgo (背骨)」として知られる、密集した中世の街区が完全に取り壊された。
  * 建築家:この計画は、建築家の Marcello Piacentini と Attilio Spaccarelli により設計された。
  * 建築と設計:この新しい道路の両側に残る既存の建物が完全には一直線になっていなかったので、建築家たちは、オベリスク型の街灯を通りに沿って並べ、完全に真っ直ぐな大通りに見える錯覚を作り出した。
  * 完成:この計画は、ムッソリーニ政権下で1936年に開始されたが、第2時大戦により部分的に遅れ、1950年までは完全には完成しなかった。
(3) 歴史的背景と遺産
  * ファシストによる都市計画:「Via della Conciliazione」の建設は、体制の権力を反映するように、ローマを近代化し、ローマの歴史的中心部を再構築するという、より大きく、幅広い、しばしば物議を醸した、ファシスト政権の構想の一部だった。
  * 歴史的継承物の喪失:この計画は、Borgo地区の、重要な中世の街並みや歴史的構造物を、破壊した。
  * 機能:こんにちでは、巡礼者や観光客のための巨大な幹線道路として使われている一方で、政治的・文化的な緊張の場としての役割も果たしており、教会的権威とファシスト時代の建築が融合していることを際立たせている。


[Google AI]
Reconciliation between Germany and the Church of Rome has occurred at several key historical junctures, most notably in the 19th and 20th centuries following intense conflicts. 
Key moments of reconciliation include:
  *    1887 (End of the Kulturkampf): Following the "Battle for Culture" (1871–1878) led by Otto von Bismarck, which saw the imprisonment of clergy and seizure of church property, Pope Leo XIII declared the conflict over on May 23, 1887, after years of negotiations to reverse the anti-Catholic laws.
  *    1933 (The Reichskonkordat): On July 20, 1933, the Holy See and Nazi Germany signed a concordat, which remains in force today, guaranteeing the rights of the Catholic Church in Germany. While it was intended as a formal peace, the Nazi regime frequently violated it shortly after signing.
  *    1951 (Post-WWII Diplomacy): Formal diplomatic relations between the Holy See and the Federal Republic of Germany were formally re-established in 1951 after the end of the Allied occupation. 
[Google AI]
ドイツとローマ教会との和解は、いくつかの重要な歴史的局面で発生しており、激しい対立の後の19世紀と20世紀のものが顕著である。
和解の重要な局面としては、イカのようなものがある:
  * 1887年 (文化闘争の終結):聖職者の東国や教会財産の没収があったオットー・フォン・ビスマルクによる"文化のための戦い (1871年‐1878年)"の後、長年に渡る反カトリック法の撤廃交渉ののちに、教皇レオ13世は1887年5月23日に、この紛争の終結を宣言した。
  * 1933年 (ライヒスコンコルダート):1931年7月20日、ローマ教皇庁とドイツは、こんにちも有効な、ドイツにおけるカトリック教徒の権利を保証する、政教条約を締結した。形式上は平和を意図した条約だったが、ナチ政権は調印後すぐに、しばしば違反した。
  * 1951年 (第2時大戦後の外交):連合国による占領終結後、1951年に、ローマ教皇庁とドイツ連邦共和国の公式な外交関係が、正式に再開された。


[Wikipedia]
普仏戦争
https://en.wikipedia.org/wiki/Franco-Prussian_War
普仏戦争は、フランスでは1870年戦争とも呼ばれるが、第二帝政フランスと、プロシア王国に率いられた北ドイツ連邦の間の、戦争である。
1870年7月19日から1871年1月28日まで続いた。
この戦争末期、ドイツの勝利がほぼ確定し、ドイツ諸国は、プロシア国王ウィルヘルム1世と首相ビスマルクのもとで、ドイツ帝国として統合を宣言した。


[Wikipedia]
「文化闘争Kulturkampf」
https://en.wikipedia.org/wiki/Kulturkampf
「文化闘争Kulturkampf」は、7年間に渡る 教皇ピウス9世により率いられたドイツのカトリック教会 と オットー・フォン・ビスマルクに率いられたプロシア王国 およびその他のドイツ諸邦との間の政治的紛争 (1871年‐1878年) 。
プロシアにおける教会と国家の政治的対立は、プロシア王国における、教育と聖職者任命の両方に対する、教会の直接的な支配を巡るものだった。
さらに、政治文化を巡る他の教会と国家の対立と比較しても、プロシアの文化闘争では、反ポーランド感情も特徴であった。


[2-1]
(1) 米国経済は破壊されるべきだ。
米国経済の規模が現在の3分の1になれば、米国の軍事費も現在の3分の1になる。
そして、ソ連(ロシア)、中国、インドは、軍事費を減らせる。
(2) ソ連(ロシア)、中国、インドは、軍事同盟を結成すべきだ。
そして、ソ連(ロシア)、中国、インドは、軍事費を減らせる。
(3) そして、我々は、より平和で幸せになる。
(4) アフリカ諸国、アジア諸国(つまり、中国、北朝鮮、南アジア、東南アジア)、中東諸国、中南米諸国も、この同盟に参加すべきだ。
(5) だから、
我々は、米国の経済を破壊すべきだ。
(6)
この同盟は、反帝国主義同盟である。
この同盟は、反ファシズム同盟である。


[2-2]
途上国は団結し決起すべきだ。
全ての先進国を滅ぼせ。
全ての西側諸国を滅ぼせ。

本来途上国は、カネが無い。
だから、途上国は、内需を縮小し、それにより貯めた外貨で、重工業化を進め、輸入依存から脱却するのが正しい。
途上国には、自動車産業、バイク産業、造船業、鉄鋼業などが必要。

他方で、途上国は、不景気の不満が出ないように貧富の差を縮め、共産主義化すべき。、

途上国は、
(1) 天然資源を国有化する(例えば石油産業とか)
(2) 農産物および天然資源に関しOPECみたいな国際団体を作り、先進国相手に高値で売りつける。
(3) 総需要抑制政策をとる、政府が貿易統制をし、政府が為替統制をする、輸入を減らす
(4) 共産主義化し、貧富の差を縮め、失業対策および不況対策とする。
(5) 内需縮小で、貿易赤字、経常収支赤字、対外債務を減らし、その浮いたおカネで、時間かかるけど工業化も進展させる。
(6) UNCTADで、資金調達し工業化を進める。
(7) 国連を改革し、IMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)を改革し、G7や先進国の特権を廃止する。べきだ。

発展途上国は、金本位制度を採用し、さらには、外資を国有化しよう。
発展途上国も巨額の債務を抱えている。
しかし、発展途上国は、西側先進国から、植民地支配されたことに対し賠償金を受け取るべきだ。
発展途上国は、西側先進国に植民地にされたことに対し、賠償金を受け取るべきだ。
そして、その結果、発展途上国も、金本位制度を採用できる。

西側先進国及び全てのG7諸国を、内需拡大させろ。
全てのG7諸国および、全ての西側先進国が滅びれば解決する。

どこの国でも、いつの時代でも、やることは同じ。
OPECのような国際機関を作り、先進国に奪われた富を、奪い返すのだ。

先進国は 開明的でもないし、進歩的でもないし、先進的でもないし、民主的でもない。
先進国がしてきたことは 途上国に対する搾取だ。
証明は簡単にできる。
原油を、先進国に対しては、1バレル当り500ドルで売るべきだ。
(私は共産主義者だ。ウラジミール・レーニンは素晴らしい)
(全ての先進国を滅ぼせ)


[2-3]
西側が本気で発展途上国を救うのなら、それは世界が共産主義化することであり、よいことだ。
西側が陰謀を企んでいるのなら、西側は、再びイメルダ・マルコスを発展途上国中に生み出そうとしているに過ぎない。
これからの西側をよく監視しよう。
結果がすべてだ、とは西側が言い出したことだ。
私は、西側は陰謀を企んでいると思う。
私は本気だ。
私は共産主義者だ。
私は貧乏なので、世界が共産主義化しても私は何も失うものはない。
むしろ望むところだ。

「今よりも貧乏になるくらいなら核戦争だ」と言い続けているのは西側だ、と私は思う。

世界を搾取しているのは西側先進国であり、世界が共産主義化したら西側先進国は今よりも貧乏になる。
だから、西側が本気で発展途上国を助けることはないと、私は思う。
西側は、この事実をとぼけているクズだ。
西側がこの事実をとぼけていないのなら、西側はバカだ。
西側はバカかクズのどちらか。
私は、西側はバカでクズだと思う。
西側が何をするか、西側をよく監視しよう。

私は西側にバカにされコケにされたので、非常に腹立たしいので、世界を共産主義化することにした。

実際、米国が本当に米国の言うような、能力主義社会、競争社会を目指しているのならば、米国が貿易赤字だろうが経常収支赤字だろうが対外債務国だろうが、米国は気にしないはずだ。
米国人が米国で競争し、米国の敗者を米国の勝者が搾取する社会になるからだ。
米国が外国にこだわるということは、米国は現状に不満であり世界を変えようとしている証拠だ。
米国は、米国が言っていることを実行していない。
米国はクズ。

米国が掲げる社会は、米国人が米国人を搾取すれば実現する。
米国はそういう社会を米国だけで実現すればよい。
米国は世界を巻き込むな。
世界は非常に迷惑をしている。

何度も言うが、私は米国の味方をしていない。
私は米国を助けない。
地球からゴミが消え、地球はきれいに平和になる。


[2-4]
* 西側先進国は、関税をかけてはならない。
発展途上国は関税をかけるべきだ。

* 西側先進国は、外国からの輸入品に対し、関税をかけてはならない。
発展途上国は、外国からの輸入品に対し、関税をかけるべきだ。

* 西側先進国と発展途上国は、異なる条件にある。

* もちろん、西側先進国と発展途上国は、異なる歴史を持つ。
西側先進国は、帝国主義者でファシストだ。
発展途上国は、西側先進国に植民地にされてきた。

関税とは、自国産業を保護し育成するための税金だ。
関税とは、外貨を確保するための税金だ。
だから私は、発展途上国がかける関税には賛成だ。


[2-5]
ウラジミール・レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、ジャワハルラール・ネルー、チェ・ゲバラ、サルバドール・アジェンデ、フランツ・オマール・ファノン、エメ・セゼール、パトリス・ルムンバは偉大だ。、
私は、ウラジミール・レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、ジャワハルラール・ネルー、チェ・ゲバラ、サルバドール・アジェンデ、フランツ・オマール・ファノン、エメ・セゼール、パトリス・ルムンバを尊敬しています。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。


[2-6]
我々には永続的な平和が必要だ。
少なくとも以下の条件が、最低条件だ。

* 西側諸国の重工業全ての解体・廃止 (これはまさに、1945年に、連合国が枢軸国に望んだこと)
* 西側諸国の金融資本全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の重工業全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の金融資本全ての解体・廃止
* NATOの解体・廃止
* EUの解体・廃止
* 全ての西側諸国の全ての軍事力の解体・廃止

西側においては、西側のカルテル及び西側の財閥が、楽して金儲けをするために戦争を引き起こしている。(これは軍産複合体と呼ばれる)
そしてこれはまさに、ウラジミール・レーニンが指摘したことだ。


[2-7]
西側諸国は、アフリカ、中東、東南アジア、南アジア、中南米、東欧を植民地にしている。
西側諸国は、帝国主義者でファシストで植民地主義者だ。

全世界は、反西側で決起すべきだ。
原油価格を上昇させよう。
天然ガス価格を上昇させよう。

「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。

もちろん、我々は、この機会を利用し、独立を得るために戦う。
もちろん、こんにち、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」は、悪だ。
「アフリカ、中東、イスラム、南アジア、東南アジア、中南米「は、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」の邪悪な行いにより、被害を被ってきた。


[2-8]
「米国に死をDeath to the U.S.」
「G7諸国全てに死をDeath to all G7 Countries.」
「西側に死をDeath to the West.」
「日本に死をDeath to Japan.」
「イスラエルに死をDeath to Israel.」


[2-9]
私には米国を支持する気は毛頭ありません。
米国は多くの犯罪を犯しました。

第2次大戦において、米国も英国も、何もしていない。
日本は、ファシストと同盟を結びました。
現在米国は、その日本およびドイツと同盟を結んでいます。

ソ連がドイツに勝利し、中国が日本に勝利しなければ、国際連合は存在しなかった。
ソ連および中国の世界に対する貢献を、西側先進国は理解すべきだ。

[Wikipedia]
「アメリカに死をDeath to America」
https://en.wikipedia.org/wiki/Death_to_America
「アメリカに死をDeath to America」は、「反米政治スローガン」及び「反米政治スローガンを唱えるときの言葉」。
イラン、アフガニスタン、レバノン、イエメン、イラク、パキスタンで用いられている。
イランでは、1979年イラン革命開始時から用いられている。
イランイスラム共和国の第1代最高指導者であるローホーラ・ホメイニ師がこの言葉を広めた。


[3-1]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。

なぜなら、西側及びG7は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、西側及びG7は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、台湾も打ち倒す。

なぜなら、韓国、台湾は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、韓国、台湾は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。

実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。

これは、西側の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、西側が望んだことなのだ。
これこそが、西側の言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。

中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。


[3-2]
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側の自由市場経済から離脱する。
西側の自由市場経済から離脱すれば、
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、「"西側の自由市場経済free-market economy(市場経済Market-Based Economy)"においてのみ、資源価格が上昇すること」からダメージを受けない。

共産主義諸国は、バーター(物々交換)制度で貿易をしている。
「資本の蓄積」および/あるいは「金を貸して利息を取ること」は、断じて共産主義ではない。
共産主義は、断じて、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ることもしない。

これが世界を救うと思う。

インドは社会主義国です。
社会主義及び共産主義は不労所得を禁じています。
イスラムも不労所得を禁じています。

私は自称イスラム教徒です。そして、私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

ところで、「資本の蓄積」そして/あるいは「金を貸して利息を取る」のは、共産主義ではありません。
共産主義者は、決して、資本蓄積をしませんし、金を貸して利息を取ったりしません。
(共産主義国では、バーター貿易(物々交換)で貿易をすると思います。)


[3-3]
こんにちの西側の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。
韓国、台湾の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。

1970年代の石油ショック(1973年オイルショック、及び、1979年オイルショック)がそれを証明している。
(私には、中東における戦争をあおるつもりはありません。産油国はOPECを活用すべきです)

例えば、
イスラムは、不労所得を禁じています。
社会主義及び共産主義も、不労所得を禁じています。

中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。


[3-4]
自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などは、地産地消にすべきだ。
「自動車産業、冷蔵庫産業、洗濯機産業、発電所の発電機産業など」を「地産地消」にすべきだ。
各国は、自国で自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などを製造すべきだ。

そうすれば、貿易収支は均衡し、債務国は存在しなくなる。

私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。

国連本部が米国ニューヨークにあるのは間違いだ。
国連本部は、アフリカか中東か南アジアか東南アジアかラテンアメリカに移動すべきだ。
こんにちの米国には国連本部の場所となる資格がない。

米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連に対し恥ずべき行動をしてきた。
米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連の信用を失墜させてきた。
米国、西側、G7及び日本は、直ちに、国連から除名されるべきだ。


[3-5]
ドイツは、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
ドイツを、西ドイツ、東ドイツ(、オーストリア)に分割したのは不十分だった。

日本も、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
もしも日本が第2次大戦後、100の都市国家に分割されていたら朝鮮戦争も国共内戦もベトナム戦争も起きなかっただろう。
連合国は、日本及びドイツにもっと厳しく当たるべきだった。

ことわざにもある通り、過ちをただすのに遅いということはない。

米国は直ちに50の都市国家に分割されるべきだ。
EUは直ちに解体されるべきだ。

日本、ドイツ、米国、英国、フランス、イタリア、EU、台湾、韓国を直ちに解体しよう。

日本は、第2次大戦中およびそれ以前からの性奴隷について、謝罪と賠償しろ。

私の人生で私が米国を訪れることは二度とありません。
私の人生で私が西欧・南欧・北欧を訪れることは二度とありません。

[Wikipedia]
西欧
https://en.wikipedia.org/wiki/Western_Europe
現代の区分
国連地理体系分類
国連地理体系は、「国連統計局United Nations Statistics Division (UNSD)」が考案したシステムで、世界の国々をM49コード分類に基づいて、地域および準地域に分類する。
https://en.wikipedia.org/wiki/Western_Europe


[3-6]
「米国や英国やドイツや日本やフランスやイタリアやベルギーやオランダやカナダやノルウェーやスウェーデンのような国にはなりたくない」と全世界が思うような国々に、米国や英国やドイツや日本やフランスやイタリアやベルギーやオランダやカナダやノルウェーやスウェーデンは、なるべきだ。
そうすれば全て解決する。
「G7諸国のようにはなりたくない」と全世界が思うような国々に、G7諸国は、なるべきだ。
そうすれば全て解決する。

元々の理論では、資本主義が極限まで行き限界を超えると崩壊し、共産主義化するのだ。
したがって、西側先進国を経済的に徹底的に追い込み、西側資本主義国の矛盾を表面化させ、西側先進国を崩壊させるのが正しく、その結果共産主義が誕生する。
もっと西側先進国を追い込むべきだ。
ソ連や中国は、この過程を省き一足飛びに共産主義化した。
しかし西側先進国は資本主義にどっぷり浸かっているので、中国やソ連の真似は不可能だ。
要は、西側先進国はグウダラで甘やかされ腐敗し堕落したゴミなので、自発的な共産主義化など不可能なのだ。
西側先進国はグウダラで甘やかされ腐敗し堕落したゴミなので、極限まで追い込まれないと共産主義化などしない。

したがって、西側先進国が崩壊するまで、西側先進国を徹底的に追い込むのが正しい。
我々は、手加減をできない。
西側先進国を滅ぼすのが正しい。
西側先進国が滅びると、世界に共産主義が誕生し、人類は永遠の平和を享受できるのだ。
全人類の未来のために、西側先進国は滅びるのだ。

 


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[1]
今すぐ、
トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、ミツビシ、いすゞ、ダイハツ、スバル、スズキ、ダイムラートラック、
BMW、ベンツ、アウディ、VW、
ルノー、スティランティス、
GM、フォード、テスラ、
ロールスロイス、
ヒュンダイが、
倒産し潰れ滅びますように。

日本はものづくりをやめろ。
国際公約どおりに 日本は金融立国を目指せ。


日本、米国、EU、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、スペイン、ポルトガルは今すぐ死ね。
日本、米国、EU、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、スペイン、ポルトガルは今すぐ滅びろ。