我々は、国連もユネスコも改革すべきだ。
* 我々は、国連もユネスコも改革すべきだ。
* こんにちの国連は、西側のために働いている。
こんにちのユネスコは西側のために働いている。(ロシアもこんにちのユネスコが西側のために働いていることはご存じだ)
* 西側はレイシストだ。
* 非常に要約して言うと、アル-アクサ・モスクは、イスラム教徒にとって最も神聖な場所の一つ。
ムハンマドは、アル-アクサ・モスクから天国へと昇った。
* 「イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation」は、何度も何度も、アル-アクサ・モスクの現状に対して、非常に強く、イスラエルを糾弾している。
[1-1]
[Wikipedia]
東エルサレム
https://en.wikipedia.org/wiki/East_Jerusalem
東エルサレム (アラビア語 : al-Quds ash-Sharqiya アル・コッズ アル・シャキア)は、1948年アラブ-イスラエル戦争のあとにヨルダンが獲得したエルサレムの一部であり、イスラエルが占領している西エルサレムとは対照的である。
国際法上、「東エルサレムは、ヨルダン川西岸地区およびパレスチナ自治区の一部で、イスラエルにより違法に占領されている」、と考えられている。
[Wikipedia]
アル-アクサ・モスク
https://en.wikipedia.org/wiki/Al-Aqsa_Mosque
場所 「神殿の丘Temple Mount (東エルサレム)」
アクサ・モスクは、キブリ・モスクあるいはキブリ礼拝堂としても知られ、エルサレム旧市街にあるアル-アクサ・モスク敷地内にある礼拝モスクあるいは礼拝所である。
いくつかの資料では、この建物はアル-マスジド・アル-アクサとも呼ばれているが、この名前は主にこの建物群が建っている敷地全体を指す言葉であり、その敷地自身は"アル-アクサ・モスク"としても知られている。
より広い敷地は、アル-アクサあるいはアル-アクサ・モスクの敷地として知られており、「アル-ハラム・アル-シャリーフal-Ḥaram al-Sharī」としても知られている。
正統派カリフのウマル(634年–644年)あるいはウマイヤ朝カリフのムアーウィヤ(661年–680年)の時代に、現在のモスクの場所の近くの敷地に小さな礼拝所が建てられた。
こんにちのモスクは敷地の南壁にあり、第5代ウマイヤ朝カリフのアブドゥルマリク(685年–705年)あるいは彼の後継者のワリード1世(705年–715年)(あるいは両者)によって、イスラムの記念碑である「岩のドームDome of the Rock」と同じ軸上に、礼拝モスクとして建てられた。
アル-アクサ・モスクは、746年に地震で破壊されたのち、758年に、アッバース朝カリフのアル-マンスールにより再建された。
780年にはアッバース朝カリフのアル-マフディー により拡大され、15の通路と中央のドームが設けられた。
しかし、「1033年のヨルダン地溝帯大地震1033 Jordan Rift Valley earthquake」により再び破壊された。
モスクは、ファーティマ朝カリフのal-Zahir(在位 1021年–1036年)により再建され、通路は7つに縮小されたが、植物のモザイクでおおわれた精巧な中央のアーチで飾られた;現在の構造は11世紀の外形を保っている。
(1) 歴史
(1-1) ファーティマ朝時代
ミフラーブのアーチのてっぺんには、「アル-アクサ・モスク」と「"マスジド・アル-ハラム"から"マスジド・アル-アクサ"へのムハンマドの夜の旅(イスラ・ミラージ)」を直接結び付ける長い碑文が金で刻まれている。
これはコーランの詩の一節がエルサレムに刻まれた最初の例である。
この碑文には、al-Zahirがモスクを改修したことが記されており、また、その他2名の名前を知られていない人物のAbu al-Wasimとシャリーフであるal-Hasan al-Husayniが改修を監督したことが記されている。
(2) 参考文献
引用
ユネスコ世界遺産センター(2022年4月4日). "39 COM 7A.27 - Decision". UNESCO World Heritage Centre. Archived from the original on 30 May 2022. Retrieved 29 May 2022. … アル-アクサ・モスク/アル-ハラム・アル-シャリーフの内部にあるキブリ・モスクの歴史的な門と窓。これらは、イスラム教の礼拝の聖なる場所であり、世界遺産の不可欠な一部である。
[Wikipedia]
「イスラ・ミラージュIsra' and Mi'raj」
https://en.wikipedia.org/wiki/Isra%27_and_Mi%27raj
「イスラ・ミラージュIsra' and Mi'raj」は、西暦621年(ヒジュラ歴 前1年 1 BH – ヒジュラ歴0年 0 BH)ごろにイスラムの預言者ムハンマド(西暦 570年–632年)が一晩で行ったと、イスラム教徒が信じている、夜の旅の2つの部分のことである。
イスラム教においては、多くのイスラム教学者たちが、この度は、肉体的なものでありまた精神的なものであったと主張している。
イスラムの伝統では、この物語はコーランの第17章「アル-イスラ」に簡潔に述べられており、この物語の細部はハディース(ムハンマドの報告、教え、行い、格言を後世にまとめたもの)に述べられている。
イスラ("夜の旅")において、ムハンマドはブラーク(翼のある馬のような鳥)の背に乗りアル-アクサ(著名な聖地)まで旅をし、そこでムハンマドはイブラヒム(アブラハム)、ムーサ(モーゼ)、イーサ(ジーザス)などのほかの預言者を率いて祈りをささげたと言われている。
その後ムハンマドは、ミラージュ(昇天)の間に天に昇り、預言者たちに個別にあいさつし、その後、神と話し、必要なサラート(礼拝)の回数を1日50回から1日5回に減らした。
この旅と昇天の話は、イスラムの暦において最も聖なる日の一つとして記されている--- イスラム暦ラジャブの月(7月)の第27日。
[1-2]
[イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation]21-08-2024
アル-アクサ・モスクへの放火未遂事件から55周年を迎え、「イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation (OIC)」は、イスラエルに占領されている「アル・コッズAl-Quds市」にある聖地の歴史的・法的地位を守ることの重要性を強調した。
https://new.oic-oci.org/SitePages/NewsDetail.aspx?Item=5057
本日、2024年8月21日は、2つのキブラのうちの最初の一つであり、聖なるモスクのうちの三番目である、聖なるアル-アクサ・モスクへの放火未遂事件から55年目の痛ましい日である。
占領軍であるイスラエルが「イスラエルのパレスチナ占領政府公務員および過激派入植者グループによる度重なる中庭への侵略、冒涜行為、門の閉鎖、巡礼者への残忍な暴行、立ち入り制限」などの、「聖地の神聖さ、信仰の自由、国際法」をあからさまに侵害している暴力をエスカレートさせているただ中で、この厳粛な日を迎えた。
[イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation]02/10/2023
「アル-アクサ・モスクを襲撃し、”アル-イブラヒミ・モスクAl-Ibrahimi Mosque”を閉鎖した」ことをイスラム協力機構は強く糾弾
https://www.oic-oci.org/topic/?t_id=39687&t_ref=26668&lan=en
イスラム協力機構の事務局長は、「イスラエル占領軍が、聖なるアル-アクサ・モスクを襲撃し、巡礼者をあからさまに襲撃し、巡礼者を多数逮捕し、”アル・ハイールAl-Khalil”市(ヘブロン市)にある”アル-イブラヒミ・モスクAl-Ibrahimi Mosque”を閉鎖した」ことを、強く非難した。
イスラム協力機構の事務局は、「これらイスラエル占領軍の行動は、占領軍であるイスラエルが、繰り返し、神聖なる場所の神聖さを侵害し信仰の自由を侵害していることの延長であり、ジュネーブ条約および国際法に明白に違反している」と考えている。
[イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation]13/04/2022
イスラエルによるアル-アクサ・モスク破壊に対し、イスラム協力機構は強く抗議。
https://www.oic-oci.org/topic/?t_id=34913&t_ref=23674&lan=en
「イスラム協力機構 Organization of Islamic Cooperation (OIC)」は、「聖なるアル-アクサ・モスクの中庭内部で、過激派入植者グループが脅しとして生贄を虐殺した」ことに対し警告をした。
イスラム協力機構は、「多数の過激派入植者が、イスラエル占領軍の保護下で、聖なるアル-アクサ・モスクを襲撃し、さらにタルムードの儀式を行った」ことに対しても、強く抗議した。
「この危険な激化は、イスラム共同体全体の感情に対するあからさまな挑発であり、関連する国際決議や国際協定に対する言語道断の違反行為である」とイスラム協力機構は考えている。
イスラム協力機構事務局長閣下「Hissein Ibrahim Tahaヒセイン・ブラヒム・タハ」は、「『”パレスチナの人々が冷酷にも殺され続けていること”、”地域の宗教対立、過激主義、不安定に火を注ぐような聖域に対する侵害をし続けていること”』、から起こりえる結果」に対し、イスラエルに全責任があると主張した。
彼は、国際社会に対しても、特に国連安全保障理事会に対しても、このような繰り返し行われる侵害を終わらせるように行動すべきであり、「イスラエルに神聖な神殿の聖域を尊重するよう強制し、イスラエルにパレスチナの人々の政治的権利および宗教的権利を尊重するよう強制させるよう」、呼びかけた。
「国営サウジ通信Saudi Press Agency」2024/08/13
イスラム協力機構は、過激派に属するイスラエル大臣および入植者によるアル-アクサ・モスク襲撃を非難
https://www.spa.gov.sa/en/N2153461
「イスラム協力機構Organization of Islamic Cooperation (OIC)」は、イスラエルパレスチナ占領政府の過激派大臣および数百人の過激派入植者による、アル-アクサ・モスク襲撃に対し、強く非難した。
モスクの中庭を冒涜し、モスクに礼拝に向かおうとする礼拝者を妨害したことを、イスラム協力機構は批判している。「モスクの中庭を冒涜し、モスクに礼拝に向かおうとする礼拝者を妨害する」という行動は、世界中のイスラム教徒を激怒させ、また、国際法や関連する国連の決議にも明白に違反している。
[Wikipedia]
「国営サウジ通信Saudi Press Agency」
https://en.wikipedia.org/wiki/Saudi_Press_Agency
「国営サウジ通信Saudi Press Agency (SPA)」は、サウジアラビアの国営通信社。
[United Nations]9 May 2024
"言語道断"な放火攻撃により、UNRWAは東エルサレムの施設を一時的に閉鎖
https://ews.un.org/en/story/2024/05/1149586
事務局長のフィリップ・ラザリーニはソーシャル・メディアに「イスラエル住民が、施設周辺に二度も放火した」と木曜日の夜に投稿した。
そのときUNRWA職員とその他の国連職員が施設内にいた。
[1-3]
以下でも不十分である。
なぜなら、イスラエルは、パレスチナを破壊し続けているから。
[Aljazeera]18 Oct 2016
ユネスコは、アル-アクサ・モスクに関する決議で、反イスラエル的決議を可決。
国連機関は、「イスラエルが占領した東エルサレム」にある、アル-アクサ・モスク施設に対するイスラエルの政策を糾弾する決議を採択
https://www.aljazeera.com/news/2016/10/18/unesco-adopts-anti-israel-resolution-on-al-aqsa-mosque
パレスチナの指導者たちは、アル-アクサ・モスク周辺施設に対するイスラエルの政策を鋭く批判する、イスラエル占領下にある東エルサレムについての決議を採択した国連文化機関の決定を歓迎した。一方でイスラエルは、この決議は、この重要な聖地とユダヤ人のつながりを無視していると主張している。
パレスチナに本拠地を置くユネスコの報道官は、火曜日、「イスラエルがユネスコとの協力を停止する原因となったこの決議は、先週の決議審議過程で承認されたあと、新たな投票なしに採択された」と説明した。
アル-アクサ・モスクは、イスラム教徒にとって三番目に神聖な聖地であり、ユダヤ人はこの場所を「神殿の丘Temple Mount」と呼ぶ。
パレスチナのユネスコ副大使Mounir Anastasは記者団に対し、「今回の決議は、”東エルサレムにおいてイスラエルは占領軍であることを思い出させるものであり、今回の決議はイスラエルに、宗教施設近傍での考古学的発掘調査を含む全ての違反行為をやめるように要求するものだ”」と語った。
このユネスコの決議は、同時に、「イスラエルがイスラム教徒のアル-アクサ・モスク近傍へのアクセスを制限していること、および、イスラエル警察とイスラエル軍による攻撃」についても糾弾しており、また、イスラエルを占領軍と確認している。
この決議案は、アルジェリア、エジプト、レバノン、モロッコ、オマーン、カタール、スーダン共同で提出された --- そして、当初、賛成24票、反対6票、棄権26票で可決された。
首相のネタニヤフは、「ユネスコの不条理演劇は続いており、そして今日、ユネスコは、イスラエルの人々は神殿の丘や嘆きの壁には何の関係もないとする妄想的な決定を新たに採択した」と述べた。
4月にもユネスコは、”イスラエルによる、信仰の自由およびイスラム教徒のアル-アクサ・モスクへのアクセスに対する侵略と違法な措置”について糾弾する決議を可決したが、この場所のユダヤ名については言及がなかった。
2011年、パレスチナはユネスコのメンバーとして承認されたが、その結果米国はユネスコへの資金支払いを停止した。
[1-4]
[Wikipedia]
「イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation」
https://en.wikipedia.org/wiki/Organisation_of_Islamic_Cooperation
「イスラム協力機構Organisation of Islamic Cooperation(OIC)」は、以前は「イスラム諸国会議機構Organisation of the Islamic Conference」という名称で、1969年に設立された政府間組織である。
57か国の加盟国からなり、そのうち48か国はイスラム教徒が多数派である。
イスラム協力機構は、"イスラム世界の総体的な声"でとなり、"国際平和と国際調和を推進する精神で、イスラム世界の利益を守り保護する"と主張している。
* 歴史
1969年8月21日、、エルサレムのアル-アクサ・モスクが放火された。
"古い木造の天井と800年前の説教台を破壊した"この放火は、イスラエルは「キリスト教原理主義者のオーストリア人の犯人のデニス・ミカエル・ローハン」の精神疾患せいだとし、イスラム会議はシオニストとシオニズムのせいだとした。
1969年9月25日、イスラム教徒が主流派の24か国の代表(多くの代表はその国の元首だった)のサミットであるイスラム会議がモロッコのラバトで開催された。
以下のことを述べた決議が採択された:
イスラムの諸政府は、不滅のイスラムの教えにより触発され、経済的、科学的、文化的、精神的分野において、イスラム諸国間で、緊密な協力と相互補助を促進する目的として協議する。
1970年3月、最初のイスラム諸国会議の外相会談が、サウジアラビアのジッダで開催された。
1972年、イスラム諸国会議機構が設立された。
アル-アクサの放火事件は、きっかけの一つとみなされているが、19世紀以降、多くのイスラム教徒はウンマ(イスラム・コミュニティー)の共通の政治、経済、社会的利益のために奉仕する汎イスラム的組織を熱望していた。
[Wikipedia]
アル-アクサ・モスク放火事件
Al-Aqsa mosque fire
https://en.wikipedia.org/wiki/Al-Aqsa_mosque_fire
アル-アクサ・モスク放火事件とは、1969年8月21日に起きた、エルサレムにあるアル-アクサ複合施設内の主要な礼拝所であるアル-アクサ・モスクへの放火攻撃である。
この放火は、オーストリア人のデニス・ミカエル・ローハンによってなされ、彼は最初に説教壇に放火した。
この事件は"中東を、1967年6月のアラブ-イスラエル戦争以来の最悪の危機に追い込み"、そして、イスラム協力機構設立の重要なきっかけとなった。
[Wikipedia]
キブラ
https://en.wikipedia.org/wiki/Qibla
キブラ(アラビア語:文字通りの意味は"方向")は、メッカにある聖なるモスクであるカアバの方向のことであり、イスラム教徒は様々な宗教的場面でキブラを用い、特にサラートのための礼拝の方角として用いられる。
[Wikipedia]
サラート
https://en.wikipedia.org/wiki/Salah
サラートはイスラム教における主要な礼拝形式である。
[Wikipedia]
ハディース
https://en.wikipedia.org/wiki/Hadith
ハディース[b] or あるいは「アタールathar (文字通りの意味は'遺物' あるいは '効果')」は、預言者ムハンマドの伝承されている言葉、行動、暗黙の承認とされるものを含む、イスラムの口頭伝承の一つである。
[Wikipedia]
「ラジャブRajab」
https://en.wikipedia.org/wiki/Rajab
ラジャブは、イスラム暦の第7の月。
[Wikipedia]
「岩のドームDome of the Rock」
https://en.wikipedia.org/wiki/Dome_of_the_Rock
「岩のドームDome of the Rock」は、エルサレム旧市街の神殿の丘にあるアル-アクサ・モスクの中心にあるイスラムの聖堂である。
現存するイスラム建築の世界最古の建築であり、考古学的に証明されたイスラム教統治者により建造された最古の宗教的建築物であり、その碑文にはイスラムとイスラムの預言者ムハンマドの最古の碑文声明が含まれている。
[Wikipedia]
ミフラーブ
https://en.wikipedia.org/wiki/Mihrab
ミフラーブとは、モスクの壁にある壁龕(ニッチ)で、キブラ、すなわちメッカにあるカアバ神殿の方向、を示しており、イスラム教徒は祈りの際にそちらを向く必要がある。
したがってミフラーブがある壁のことは、"キブラ・ウォール"となる。
[1-5]
[Wikipedia]
「タルムードTalmud」
https://en.wikipedia.org/wiki/Talmud
タルムードは、「ヘブライ語聖書Hebrew Bible(私による注:キリスト教徒の言う所の旧約聖書)」に次いで、ラビ・ユダヤ教の中心的なテキストであり、ユダヤ宗教法(ハラハーhalakha)とユダヤ哲学の主要な源である。
[2-1]
途上国は団結し決起すべきだ。
全ての先進国を滅ぼせ。
全ての西側諸国を滅ぼせ。
本来途上国は、カネが無い。
だから、途上国は、内需を縮小し、それにより貯めた外貨で、重工業化を進め、輸入依存から脱却するのが正しい。
途上国には、自動車産業、バイク産業、造船業、鉄鋼業などが必要。
他方で、途上国は、不景気の不満が出ないように貧富の差を縮め、共産主義化すべき。、
途上国は、
(1) 天然資源を国有化する(例えば石油産業とか)
(2) 農産物および天然資源に関しOPECみたいな国際団体を作り、先進国相手に高値で売りつける。
(3) 総需要抑制政策をとる、政府が貿易統制をし、政府が為替統制をする、輸入を減らす
(4) 共産主義化し、貧富の差を縮め、失業対策および不況対策とする。
(5) 内需縮小で、貿易赤字、経常収支赤字、対外債務を減らし、その浮いたおカネで、時間かかるけど工業化も進展させる。
(6) UNCTADで、資金調達し工業化を進める。
(7) 国連を改革し、IMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)を改革し、G7や先進国の特権を廃止する。べきだ。
西側先進国及び全てのG7諸国を、内需拡大させろ。
全てのG7諸国および、全ての西側先進国が滅びれば解決する。
どこの国でも、いつの時代でも、やることは同じ。
OPECのような国際機関を作り、先進国に奪われた富を、奪い返すのだ。
先進国は 開明的でもないし、進歩的でもないし、先進的でもないし、民主的でもない。
先進国がしてきたことは 途上国に対する搾取だ。
証明は簡単にできる。
原油を、先進国に対しては、1バレル当り500ドルで売るべきだ。
(私は共産主義者だ。ウラジミール・レーニンは素晴らしい)
(全ての先進国を滅ぼせ)
[2-2]
ウラジミール・レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、フランツ・オマール・ファノン、エメ・セゼール、ジャワハルラール・ネルー、チェ・ゲバラ、サルバドール・アジェンデは偉大だ。、
私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。
「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。
[2-3]
我々には永続的な平和が必要だ。
少なくとも以下の条件が、最低条件だ。
* 西側諸国の重工業全ての解体・廃止 (これはまさに、1945年に、連合国が枢軸国に望んだこと)
* 西側諸国の金融資本全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の重工業全ての解体・廃止
* G7諸国(米国、カナダ、日本、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス)の金融資本全ての解体・廃止
* NATOの解体・廃止
* EUの解体・廃止
* 全ての西側諸国の全ての軍事力の解体・廃止
西側においては、西側のカルテル及び西側の財閥が、楽して金儲けをするために戦争を引き起こしている。(これは軍産複合体と呼ばれる)
そしてこれはまさに、ウラジミール・レーニンが指摘したことだ。
[2-4]
西側諸国は、アフリカ、中東、東南アジア、南アジア、中南米、東欧を植民地にしている。
西側諸国は、帝国主義者でファシストで植民地主義者だ。
全世界は、反西側で決起すべきだ。
原油価格を上昇させよう。
天然ガス価格を上昇させよう。
「西側が完全に破壊され、西側が全面的に破壊されること」、こそが、唯一の平和的解決法だ。
解決策は、石油ショックしかない。
我々にはもう一度、「1973年石油ショック」が必要だ。
1973年石油ショックにおいては、OAPECは「米国およびその他の国が今回の紛争においてイスラエルを支持するなら、米国およびその他の国に対する石油輸出を制限あるいは停止する」と宣言した。
もちろん、我々は、この機会を利用し、独立を得るために戦う。
もちろん、こんにち、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」は、悪だ。
「アフリカ、中東、イスラム、南アジア、東南アジア、中南米「は、「G7、NATO、西側諸国、EU、米国」の邪悪な行いにより、被害を被ってきた。
[2-5]
「米国に死をDeath to the U.S.」
「G7諸国全てに死をDeath to all G7 Countries.」
「西側に死をDeath to the West.」
「日本に死をDeath to Japan.」
[2-6]
私には米国を支持する気は毛頭ありません。
米国の歴史の中で、米国のした唯一正しいことは、ファシストを倒したことです。
米国は多くの犯罪を犯しました。
米国の唯一の正しい行動は、ファシストを倒したことです。
そして、日本はファシストと同盟を結びました。
[Wikipedia]
「アメリカに死をDeath to America」
https://en.wikipedia.org/wiki/Death_to_America
「アメリカに死をDeath to America」は、「反米政治スローガン」及び「反米政治スローガンを唱えるときの言葉」。
イラン、アフガニスタン、レバノン、イエメン、イラク、パキスタンで用いられている。
イランでは、1979年イラン革命開始時から用いられている。
イランイスラム共和国の第1代最高指導者であるローホーラ・ホメイニ師がこの言葉を広めた。
[3-1]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。
なぜなら、西側及びG7は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、西側及びG7は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。
もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、台湾も打ち倒す。
なぜなら、韓国、台湾は、途上国を搾取し続けているから。
なぜなら、韓国、台湾は、途上国の天然資源を搾取し続けているから。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。
[3-2]
「西側の自由市場経済(市場原理経済)においてのみ、原油価格、銅価格などが上昇すること」は、途上国を救い、先進国を打ち倒し、G7(つまり、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、米国)を打ち倒す。
これは、西側の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、西側が望んだことなのだ。
これこそが、西側の言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。
もちろん、原油価格、銅価格などの上昇は、韓国、台湾も打ち倒す。
もちろん、これは、韓国の自動車企業を打ち倒す。
これこそが、韓国が望んだことなのだ。
これこそが、彼らの言う「自由貿易及び市場経済」、なのだ。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
実際、原油価格、銅価格などの上昇は、どの国が途上国の天然資源を搾取し続けているか、をはっきりさせる。
中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。
[3-3]
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側の自由市場経済から離脱する。
西側の自由市場経済から離脱すれば、
アフリカ、中東、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、「"西側の自由市場経済free-market economy(市場経済Market-Based Economy)"においてのみ、資源価格が上昇すること」からダメージを受けない。
共産主義諸国は、バーター(物々交換)制度で貿易をしている。
「資本の蓄積」および/あるいは「金を貸して利息を取ること」は、断じて共産主義ではない。
共産主義は、断じて、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ることもしない。
これが世界を救うと思う。
[3-4]
こんにちの西側の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。
韓国、台湾の繁栄は、途上国を搾取することで達成されている。
1970年代の石油ショック(1973年オイルショック、及び、1979年オイルショック)がそれを証明している。
(私には、中東における戦争をあおるつもりはありません。産油国はOPECを活用すべきです)
例えば、
イスラムは、不労所得を禁じています。
社会主義及び共産主義も、不労所得を禁じています。
中国は毛沢東主義に戻るべきだ。
中国の改革開放政策は間違いだ。
[3-5]
自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などは、地産地消にすべきだ。
「自動車産業、冷蔵庫産業、洗濯機産業、発電所の発電機産業など」を「地産地消」にすべきだ。
各国は、自国で自動車、冷蔵庫、洗濯機、発電所の発電機などを製造すべきだ。
そうすれば、貿易収支は均衡し、債務国は存在しなくなる。
私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。
国連本部が米国ニューヨークにあるのは間違いだ。
国連本部は、アフリカか中東か南アジアか東南アジアかラテンアメリカに移動すべきだ。
こんにちの米国には国連本部の場所となる資格がない。
米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連に対し恥ずべき行動をしてきた。
米国、西側、G7及び日本は、何度も何度も、国連の信用を失墜させてきた。
米国、西側、G7及び日本は、直ちに、国連から除名されるべきだ。
[3-6]
アフリカ、中東、イスラム諸国、アラブ諸国、南アジア、東南アジア、中南米は、西側自由市場経済から離脱する。
共産主義国は、バーター貿易(物々交換貿易)をしている。
資本の蓄積(資本を蓄積すること)、及び、金を貸して利息を取る行為は、断じて、共産主義ではない。
共産主義は、決して、資本を蓄積しないし、金を貸して利息を取ったりもしない。
これが世界を救うと思う。
インドは社会主義国です。
社会主義及び共産主義は不労所得を禁じています。
イスラムも不労所得を禁じています。
私は自称イスラム教徒です。そして、私は、オマール・ファノン及びパトリス・ルムンバを尊敬しています。
ところで、「資本の蓄積」そして/あるいは「金を貸して利息を取る」のは、共産主義ではありません。
共産主義者は、決して、資本蓄積をしませんし、金を貸して利息を取ったりしません。
(共産主義国では、バーター貿易(物々交換)で貿易をすると思います。)
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ドイツは、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
ドイツを、西ドイツ、東ドイツ(、オーストリア)に分割したのは不十分だった。
日本も、第2次大戦後、100の都市国家に分割されるべきだった。
もしも日本が第2次大戦後、100の都市国家に分割されていたら朝鮮戦争も国共内戦もベトナム戦争も起きなかっただろう。
連合国は、日本及びドイツにもっと厳しく当たるべきだった。
ことわざにもある通り、過ちをただすのに遅いということはない。
米国は直ちに50の都市国家に分割されるべきだ。
EUは直ちに解体されるべきだ。
日本、ドイツ、米国、英国、フランス、イタリア、EU、台湾、韓国を直ちに解体しよう。