アパルトヘイト、レーガン、サッチャー。

アパルトヘイトレーガンサッチャー


アパルトヘイトレーガンサッチャー
ロナルドレーガンおよびマーガレットサッチャーレイシストだ。

ネルソンマンデラは、アパルトヘイト相手に戦った。
南アフリカ共和国は、ネルソンマンデラを投獄した。
米国大統領ロナルドレーガンおよび英国首相マーガレットサッチャーは、その時、南アフリカ政府を支持した。

ネルソンマンデラは、ノーベル平和賞を受賞した。

ロナルドレーガンおよびマーガレットサッチャーレイシストだ。
ロナルドレーガンおよびマーガレットサッチャーの支持者もレイシストだ。


[1]
[Wikipedia]
アパルトヘイト
https://en.wikipedia.org/wiki/Apartheid
アパルトヘイトとは、1948年から1990年初頭まで、南アフリカ共和国および南西アフリカ国(現在のナミビア共和国)において、制度化されていた、人種差別のシステムである。
アパルトヘイトとは、「baasskapバースカップ(白人至上主義)に基づく、権威主義的政治文化・独裁主義的政治文化」により特徴づけられる。
この白人至上主義の存在により、政治的・社会的・経済的に南アフリカでは少数派である白人が、南アフリカ共和国を支配していたのである。
この社会階層化システムによると、白人が最も高いステータスを持ち、次に「アジア系」および「白人との混血であるカラード」が置かれ、最下層にアフリカ系アフリカ人が置かれていた。
アパルトヘイトによる、経済的負の遺産や社会的影響は、いまも続いている。

アパルトヘイトは、1948年の総選挙で「南アフリカ国民党National Party (NP)」が政権を取ると、南アフリカ共和国の公式政策として採用された。

アパルトヘイト法により、1960年から1983年の間に、350万人のアフリカ系アフリカ人が住んでいた家を追い出され、人種隔離地域に追いやられた。
これは、近代史において最大の「強制立ち退き」の一つである。
アフリカ系のかたを標的としたこれら立ち退きの大半は、10箇所の指定された「部族の母国tribal homelands」と呼ばれる地域に、アフリカ系の方々の居住を制限することであった。
この「部族の母国tribal homelands」は、「Bantustanバントゥースタン」としても知られており、その後、10箇所のうち4か所は、名前だけ・名目上だけは独立国とされた。
南アフリカ共和国は、「強制移住させられたアフリカ系の人々は、Bantustanバントゥースタンに移民として受け入れられたのだから、南アフリカ共和国としての市民権は失う」と宣言した。

アパルトヘイトは、国際的にも国内的にも、強烈な反対にあい、「20世紀において最も影響のあった地球規模の社会運動の一つ」を引き起こした。
アパルトヘイトは、国連で何度も激しい非難の対象となり、南アフリカ共和国に対し、広大な範囲におよぶ武器禁止措置および貿易禁止措置、が課されることとなった。

1987年から1993年の間に、「南アフリカ国民党National Party (NP)」は、反アパルトヘイトを推進する政治運動である「アフリカ民族会議African National Congress (ANC)」と、「人種隔離政策・差別政策を廃止し、多数決ルールを導入すること」で、一対一で交渉した。
1990年に、ネルソンマンデラなどのANCの重要人物たちが、刑務所から釈放された。

7 アパルトヘイトのあいだの国際関係
7.7 西側諸国からの影響
1980年代、米国ロナルドレーガン政権および英国サッチャー政権は、
(1) アパルトヘイトを取り続ける南アフリカ共和国政府に対し「建設的契約Constructive engagement」を提案し、
(2)「国連の対南アフリカ共和国経済制裁」に拒否権を発動し、
(3) 自由貿易を推進するという信念により、レーガンおよびサッチャーの行動を正当化し、
(4)「南アフリカ共和国内のマルクス主義者に対抗する砦とする」という考えのもとに、レーガンおよびサッチャーの行動を正当化した。
サッチャーはANCをテロ組織であると宣言した。
またサッチャーの広報官であるBernard Inghamが1987年に、
「ANCが南アフリカ共和国で政府組織を設立するだろうと信じる人々は、大昔の劇に出てくるあり得ない架空の空想都市Cloud cuckoo landを信じているようなものだ」
と言い放ったことが有名である。
NPOであり保守系ロビイスト団体である「米国議員交流協会American Legislative Exchange Council (ALEC)」は、1980年代を通してずっと、
「"アパルトヘイト政策をとる南アフリカ共和国"に対し圧力をかける運動である"投資引き上げ運動"」に対し、
積極的に、妨害運動・反対運動をし続けた。


[Wikipedia]
ネルソンマンデラ
https://en.wikipedia.org/wiki/Nelson_Mandela
ネルソンマンデラ(18 July 1918年7月18日–2013年12月5日)は、南アフリカ共和国の反アパルトヘイト革命家で、政治リーダーで、博愛主義者であり、南アフリカ共和国大統領を1994年から1999年までなさった。
ネルソンマンデラの政府の目標は、「制度化された人種差別と闘い真っ向から取り組み、人種間の調停をする」ことで、アパルトヘイト負の遺産を廃絶することである。
イデオロギー的には、アフリカ民族主義者で社会主義者で、「アフリカ民族会議African National Congress (ANC)」議長を1991年から1997年まで務めた。
民主主義と社会正義の象徴として広く知られており、250以上の賞を受賞なさっており、ノーベル平和賞も受賞なさった。

3 投獄
3.1 逮捕およびリヴォニア裁判: 1962年–1964年
1962年8月5日、Howick近郊で、警察は、活動家Cecil Williamsおよびネルソンマンデラを逮捕した。

3.2 ロベン島: 1964年–1982年
1964年、ネルソンマンデラおよびマンデラとともに訴追されている人々は、プレトリアから、ロベン島刑務所へと移送され、そこで18年間を過ごした。た。
1980年3月、「マンデラに自由を!マンデラを解放しろ!」というスローガンが、ジャーナリストPercy Qobozaにより始められた。
これにより、国際的なキャンペーンが巻き起こり、国連安全保障理事会が、マンデラの釈放を要求するに至った。
国際的な圧力が高まったにもかかわらず、南アフリカ共和国政府は、ネルソンマンデラの釈放を拒否した。
冷戦時代であったので、南アフリカ共和国政府は、同盟者である米国大統領ロナルドレーガンおよび英国首相マーガレットサッチャーの協力を得たのだ。
ロナルドレーガンおよびマーガレットサッチャーは両者とも、
『ネルソンマンデラの「アフリカ民族会議African National Congress (ANC)」を、共産主義に同情的なテロ組織だとみなしており』、
南アフリカ共和国政府による弾圧を支持した』のだ。


[2]
Black Lives Matter!ブラックライブズマター!Black Voters Matter!ブラックボーターズマター!
米国国防省・米国のメディア・ホワイトハウス・米国の政治家・米国の大学・米国のトップ1%・米国のセレブ・ハリウッド・ウォールストリートよりも、我々は左だ。

他方で、ドイツのファシズムは極右だ。ナチは極右だ。

今日の西側の政治家は全員、ロナルドレーガンの支持者だ。今日の西側の政治家は全員、ロナルドレーガン派だ。
ロナルドレーガンは極右だ。
日本および米国防省および米マスコミおよびウォールストリートおよびハリウッドが、ロナルドレーガンを育てたのだ。


[3]
米国は「ゆりかごから墓場まで」の福祉制度を、米国で米国の99%のために作るべきだ。
イギリスが「ゆりかごから墓場まで」の福祉制度を作った。
他方で、ソ連が崩壊した主要な原因は軍事費が巨額なことだ。
(私にはロシアを批判する気も支持する気もありません)
米国は「ゆりかごから墓場まで」の福祉制度を、米国で米国の99%のために作るべきだ。
(しかし、巨大な中央集権政府がその答えなのかどうかは、私にはわかりません)
(実際、現在の米国政府は、年に7000億ドルも軍事費を使う超巨大政府です)
だから。
米国は、米国で軽自動車を作り、それら軽自動車を全世界へ輸出する。
米国は、今すぐ、モンロー主義になれ!
米国は、今すぐ、全世界の外国から全ての米軍を引き上げろ!
米国の軍事費を、1年当たり100億ドルにまで、今すぐ、下げろ。
米国は、今すぐ、金本位制を採用しろ!アメリカ合衆国は、今すぐ、金本位制に戻れ!
米国は、今すぐ、米国の金融を引き締める政策をしろ!米国は、今すぐ、米国の内需を縮小しろ!
米国は、今すぐ、米国の貿易収支および米国の経常収支を、黒字にしろ!
米国は、今すぐ、債券国になれ!
結果として、ドル高になる!


[Wikipedia]
Cloud cuckoo land
https://en.wikipedia.org/wiki/Cloud_cuckoo_land
古代ギリシャの作家Aristophanesの「鳥(The Birds)」に登場する非現実的で過度に理想的な架空の都市

[Wikipedia]
Constructive engagement
https://en.wikipedia.org/wiki/Constructive_engagement
アパルトヘイト政策をとり続ける南アフリカ共和国に対し、レーガン政権がとった政策に名付けられた名前。
アパルトヘイト政策をとり続ける南アフリカ共和国に対し、国連総会および国際的な反アパルトヘイト運動は経済制裁および投資引き上げを主張したが、レーガン政権は国連総会のやり方に反対し、それに代わる手段を主張した。