IbrahimCongoOmar’s blog

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ハリエットタブマン 4

ハリエットタブマン 4

ハリエットタブマン 4


[1]
[Wikipedia]
ハリエットタブマン
https://en.wikipedia.org/wiki/Harriet_Tubman
ハリエットタブマン(生まれたときの名はアラミンタ・ロス.1822年3月 - 1913年3月10日)は、米国の奴隷廃止論者で政治活動家
奴隷として生まれ、逃亡し、その後13回にわたりおよそ70名の奴隷の方々を救出した。
この70名の中には、家族や友人もいた。地下鉄と呼ばれる、反奴隷制度活動家のネットワークおよびセーフハウスを活用した。
南北戦争の最中には、偵察員およびスパイとして北軍に仕えた。
後年、タブマンは、女性参政権のために苦闘する活動家となった。
1849年にタブマンは、フィラデルフィアへ逃亡した。その後すぐに、家族を救出するために、メリーランドに戻った。
ゆっくりと、一度に人グループずつ、タブマンは親せきの人たちを州の外へ連れ出した。そして最終的には、多数の奴隷の方々を自由へと導いた。
夜中に極秘に旅をしていたので、タブマン(あるいは、タブマンはモーゼとも呼ばれた)”けっしてその乗客を失わなかった。”
1850年に逃亡奴隷法(the Fugitive Slave Act of 1850)が成立し、奴隷州から自由州へ脱出しても強制送還されることが決まると、タブマンは、逃亡者の方々をさらに北の北米イギリス領まで送り届けるようになり、さらに、新たな仕事を見つけるのを手伝った。
南北戦争がはじまると、タブマンは北軍のために働いた。最初はコックや看護師として、その後は、武装偵察やスパイをなさった。
タブマンは、その後病気で倒れるまで女性参政権の活動をなさった。病気になると、タブマン自身が設立にかかわった、高齢のアフリカ系米国人のためのホームに入居した。
1913年にタブマンがなくなると、タブマンは、勇気と自由のアイコンとなった。


10 後世に伝わる業績
生前からすでに広く知られ尊敬されていたが、タブマンがなくなるとその死後数年で米国のアイコンとなった。
20世紀末に行われた調査では、南北戦争以前で米国の歴史上最も有名な人物として、ベッツィー・ロスおよびポール・リビアについで、タブマンは3位になった。
タブマンの存在は、平等および市民権を求め何代にもわたって戦うアフリカ系米国人を励まし続けてきた。
タブマンは、あらゆるどんな立場のリーダーからも、その政治的な立場を超えて、賞賛された。
ニューヨーク州オーバーン市は、裁判所に記念碑を作り、タブマンの人生の偉業を称えている。
その記念碑はタブマンの数々の偉業をたたえているものの、
そのアフリカ系米国人独特の英語(dialect、例えば、"I nebber run my train off de track")が、(もちろんこれは、信ぴょう性を高めるために書いたわけだが)
タブマンの米国愛国者であることに対して、そして、タブマンが人道に人生をささげたことに対して「その名声をむしばむものだ」との批判も出ている。
にもかかわらず、落成式はタブマンへの最高の惨事となり、また、Booker T. Washingtonは基調演説を述べた。


10.1 博物館および歴史的史跡
1937年にアフリカ系米国人女性団体の傘下組織であるEmpire State Federation of Women's Clubsにより、ハリエットタブマンの墓碑が建設された。
1999年に、アメリカ合衆国文化遺産保護制度の一つである「アメリカ合衆国国家歴史登録財National Register of Historic Places」に登録された。
ハリエットタブマンの家は1920年に廃棄されたが、AME Zion Churchアフリカ系メソジスト監督シオン教会により改宗され博物館および教育センターとしてオープンした。
ハリエットタブマン記念図書館は1979年ごろにオープンした。
オンタリオ南部では、カナダ史跡記念物委員会(Historic Sites and Monuments Board of Canada)の推薦により、ブリティッシュメソジスト監督教会サミュエル礼拝所が1999年にカナダ国定史跡に指定された。

オンタリオ州セントキャサリンズのチャペルは、この町にいたころのタブマンにフォーカスしている。
タブマンがこの近所に住んでいた時、この町は、奴隷の方々を脱出させるための地下組織である”地下鉄”の主要な終着駅であり、奴隷解放論者の仕事の中心地だったのだ。
タブマンの時代には、このチャペルはBethel Chapelという名前であり、アフリカ系メソジスト監督シオン教会の一部であった。1856年にブリティッシュメソジスト監督教会になった。
2005年にカナダ史跡記念物委員会(Historic Sites and Monuments Board of Canada)が推薦すると、タブマン自身も「カナダの歴史的偉人Persons of National Historic Significance」に選出された。

2008年に、メリーランドとニューヨークの権利擁護団体および両州選出の議員が、ハリエットタブマンを称え、2つの国立公園を設立しようと働きかけた:
1つは、タブマンの生まれ故郷であるメリーランド州の東岸、および、地下鉄のルート沿いのメリーランド州キャロライン郡およびタルボット郡である:
2つ目は、ニューヨーク州オーバーン市のタブマンの家である。
それから6年間にわたりこの法案は提出され続けたが、議会を通過しなかった。
2013年にバラクオバマ大統領が大統領の行政執行権を使い、「ハリエットタブマン地下鉄国立記念公園」を設立した。
この記念公園には、メリーランド州東岸およびBlackwater国立野生生物保護区が含まれる。

2014年12月に国立公園の認可は、米国国防権限法2015に統合された。
幾人かの議員が反対したにもかかわらず、この法案は超党派で可決し、2014年12月19日にオバマ大統領がサインして成立した。
2017年3月に、メリーランド州の「ハリエットタブマン州立公園」内に「ハリエットタブマン地下鉄案内所」が発足した。
この法律は、土地の確保は保留中だが、ニューヨーク州カユガ郡のハリエットタブマン国立公園の設立も認定した。
また、メリーランド州にハリエットタブマン地下鉄国立歴史公園も設立した。
後者は、国立公園内に設立され、今後さらに展示内容を追加することも認められている。
ニューヨーク州オーバーン市の公園は、2017年1月10日に設立された。

ワシントンDCスミソニアン博物館にある国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館には、タブマンが所持していたアイテムが展示されている。
食器・賛美歌集・英ビクトリア女王から送られたリンネルの服およびシルクのショールなどが展示されている。
他にも、タブマンの写真の肖像画(存在が確認されている数少ない数点のうちの一つ)や1913年のタブマンのお葬式のイメージハガキ3点などがある。


10.2 20ドル紙幣
2016年4月20日に、当時の米国財務長官ジャックリューは、20ドル紙幣の肖像画に、現在のアンドリュージャクソン大統領(ジャクソン自身も奴隷所有者だった)を裏面に移し、代わりにタブマンを表面に採用すると発表した。
リューは、米国製版印刷局に、デザイン皇帝を早め、新紙幣が2020年には流通するようにと指示を出した。
しかし2017年に財務長官スティーブン・ムニューシンは「タブマンを20ドル紙幣に採用することを確約はしない」と発表した。
「人々は長いこと現在の紙幣に慣れている。将来考えることではあろうが、現在はほかにもっと集中しなくてはならない大事なことがたくさんある」
とスティーブン・ムニューシンは言った。


10.4 その他の名声や記念碑
タブマンは、米国聖公会の「聖人カレンダー」に7月20日の聖人として、女性参政権運動家で奴隷解放活動家のElizabeth Cady Stantonおよび女性参政権運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマーおよび奴隷解放活動家ソジャーナ・トゥルースとともに、祭られている。
タブマンは、アメリカ福音ルター派教会の「聖人カレンダー」に3月10日の聖人として、奴隷解放活動家ソジャーナ・トゥルースとともに祭られている。
2003年以降、ニューヨーク州は法的な祝日ではないものの、3月10日をタブマンの記念日としている。

数多くの機構や組織や事業体がタブマンを称えてその名前を付けている。
いくつかの州では、種々の学校・通りの名前・高速道路の名前などにタブマンとつけられている。また、種々の教会グループや社会組織や政府機関にもつけられている。
1944年に米国海運委員会は、リバティ型輸送船に、ハリエットタブマンと名付けた。アフリカ系米国人女性のかたの名前が付けられたのは初めて出会った。
小惑星(241528)も、2014年に彼女にちなんでタブマンと名付けられた。
メリーランド州バルチモアのワイマン・パーク・デルの一角も、2018年3月に、Harriet Tubman Grove と改名された:
このGrove木立は、元々は、南軍の将軍ロバート・E・リーとストーンウォール・ジャクソンの二つが立っていた場所だったが、2017年8月にこの公園から撤去された。

タブマンは、死後、1973年に、「National Women's Hall of Fame 米国女性の殿堂」に殿堂入りし、「メリーランド州の女性の殿堂」には1985年に殿堂入りした。