Gomillion対Lightfoot裁判(1960年)
Gomillion対Lightfoot裁判(1960年)
[1] Gomillion対Lightfoot裁判 https://en.wikipedia.org/wiki/Gomillion_v._Lightfoot 当時の最高裁判所のメンバー 最高裁判所長官;アールウォーレン
Gomillion v. Lightfoot, 364 U.S. 339 (1960)(Gomillion対Lightfoot裁判US6339判決の364ページ)は、 米国最高裁判所が、「アフリカ系米国人の方の選挙権を奪うために選挙区の境界を作り変えたのは、米国憲法修正15条に違反していて違憲だ」と判断した判決である。
背景 1957年公民権法が成立したあと、アラバマ州タスキーギー市で、活動家達は、アフリカ系の方が有権者登録をするように活動し、少しずつ成果を得ていた。 そして、有権者登録をしたアフリカ系の方の人数は、白人有権者の数に近づき始めた。
タスキーギー市は、”1964年公民権法以前に主にアフリカ系の方の高等教育のために設立されたタスキーギ大学”および”退役軍人省の病院”があり、両方とも職員の方はアフリカ系の方のみであった。 総人口でいうとアフリカ系の方は、白人よりも4倍の数いた。そして、白人は選挙が多数決なので恐れた。 タスキーギー市の白人は、アラバマ州議会に対し市の境界を変更するようにロビー活動をした。
1957年に、議論もなしに、また、多くのアフリカ系のかたの抗議にもかかわらず、州議会は現地法140条と言う法律を立法し、市の境界を28角形の形に作り直し、ほぼ全てのアフリカ系米国人の有権者を市から排除した。 市から排除された白人はいなかった。 この法律は、アラバマ州の議員Engelhardtにより作られた。Engelhardtは、アラバマ州White Citizens' Council(白人市民会議)の事務総長であり、白人至上主義者だった。
タスキーギ大学のCharles G. Gomillion教授およびその他のアフリカ系米国人たちが抗議行動をした。 地域社会(コミュニティー)の活動家たちは、タスキーギで白人が所有するビジネスに対しボイコット活動を開始した。 Gomillion教授およびその他のアフリカ系米国人たちは、 「この法律は”憲法修正第15条の適正手続きの保証節および平等保護条項”に反していて、差別をすることを目的としている」 として、市長およびその他役人を訴え裁判を起こした。 アラバマ州の州都モントゴメリーにあるアラバマ中部地区の地方裁判所(裁判長はFrank M. Johnson)は、 「州政府には、選挙区および司法権管轄の境界を決定する権利がある」 としてこの訴えを棄却した。 ニューオーリンズにある米国第5巡回区控訴裁(高等裁判所)もこの判決を支持した。 そこでGomillion氏および彼の弁護士は、連邦最高裁判所に上告した。 この裁判は、 アラバマ州で経験豊かな人権派のFred Gray弁護士 およびNAACP(National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)のRobert L. Carter主任弁護士により Arthur D. Shoress氏の法律顧問の協力の下に議論された。 被告のチームは、James J. Carterにより率いられていた。
(21世紀初頭現在でもなお、アラバマ州議会は、市や郡の問題に関し、大きく深く関与しコントロールを及ぼしている。ホームルールhome ruleを持つ郡はごくわずかである) ホームルールhome ruleとは、植民地や独立国や地域において、そこの住民が自治をしていることである。 州の三権のうちの行政府の能力が、その州の統治範囲において、中央政府から地方に地方分権されている状態である https://en.wikipedia.org/wiki/Home_rule
判決 この、ランドマークとなった、選挙権に関する裁判では、 「アラバマ州議会が制定した”現地法140条と言う法律”が憲法修正第15条に違反しているかどうか」 が最高裁判所で裁決された。
1957年のアラバマ州議会が制定した”現地法140条と言う法律”は、アラバマ州タスキーギ市の市の境界を変更するものであった。 この法律以前は、タスキーギ市の境界は4角形であった。しかし、州議会は、この法律により28個の頂点を持つ形に市の境界を変更し、アフリカ系の有権者の方ほぼ全てを排除したのだ。 排除された白人は一人もいなかった。 この排除され選挙権を奪われた方々の中には、タスキーギ大学の教授やタスキーギ退役軍人病院の医者やスタッフ、といった高度に教育レベルが高いかたがたも含まれていた。
Frankfurter判事(裁判官)は、裁判所の意見を次のように判示した 「アラバマ州のこの州法は、憲法修正第15条に違反している」 「憲法修正第15条は、人種・肌の色・以前の社会状態により、いかなる人の選挙権をも否定することを禁じている」 Whitaker判事(裁判官)も、判決に同意した。ただ、 「アラバマ州のこの州法は、憲法修正第14条の平等保護条項違反として破棄されるべきだ」と意見を出した。
その後の歴史 この裁判は、すべての州は、米国憲法により課される制約の制限を受ける、ということを示した。 したがって、連邦政府により保護されている諸権利を州が侵害したときには、連邦政府による審査を州は拒むことはできない。
この判決はその後、前に戻って、下級裁判所にも適用された。 1961年に、Johnson裁判官の指示の下、前述のゲリマンダリングは廃止され、市の境界は元に戻された。
|