IbrahimCongoOmar’s blog

Black Lives Matter! I love political correctness.

風なんぞもう来ねえ The Wind Done Gone(風と共に去りぬ)

風なんぞもう来ねえ The Wind Done Gone(風と共に去りぬ)

風なんぞもう来ねえ The Wind Done Gone(風と共に去りぬ)


[1]
[Wikipedia]
風と共に去りぬ (小説)
https://en.wikipedia.org/wiki/Gone_with_the_Wind_(novel)
風と共に去りぬは、マーガレットミッチェルにより1936年に出版された小説である。

5 ストーリーについての議論

5.1 奴隷制
風と共に去りぬ」において、奴隷制度は、ストーリの背景となっており、その他の出来事についての本質をなすものである。
「南部プランテーションについての架空の空想小説」は、奴隷所有者の観点および奴隷所有者の価値基準でかかれており、奴隷は従順で幸せに暮らしていると描く傾向にある。
これら「南部プランテーションについての架空の空想小説」は、「反トム小説」としても知られている。
この「反トム小説」とは、ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウ(ストウ夫人)が書いた1852年の「アンクルトムの小屋」という反奴隷制度小説、に対し反応して発生した一連の小説をさす。

5.1.1 カースト制度
この小説の登場人物は、社会的クラスに応じて2つのグループに分けられている:
スカーレットおよびアシュリーといった白人大農場主クラス、と、アフリカ系家庭内召使いクラス、である。
風と共に去りぬ」で描かれる奴隷のかたがたは、マミー・ポーク・プリッシー・ピーターのように、忠実な家庭内召使いである。
マーガレットミッチェルの描くカースト制度においては、家庭内召使いは、奴隷の中では最も高いカーストに位置している。
彼ら家庭内召使いは、「1863年奴隷解放宣言」およびそれに続いておきた1865年の憲法修正第13条により自由の身となっても、彼らの主人の元にとどまることを選択したのである。
タラにとどまった家庭内召使いについてスカーレットは「どんな試練でも壊せない、いくらカネを積んでも買えない、忠誠心や永遠さや愛情の質の高さ、というものが彼らにはある」と考える。
農作業奴隷は、マーガレットミッチェルの描くカースト制度において、底辺層を形成している。
タラから来た農作業奴隷で現場監督のビッグサムは、南軍に連れ去られ塹壕を掘らされ、そして二度とスカーレットの大農場には戻ってこなかった。

マーガレットミッチェルは、他の農作業奴隷のかたについては、”忠実”で”新たに得られる自由を利用することを拒んだ”と描いた。
しかし、「奴隷解放宣言後、農場で働く農作業奴隷のかたはいなかった」とも小説に書かれている。

5.1.2 誠実で献身的な奴隷
Micki McElyaは、彼女の小説”Clinging to Mammy”で、
「”忠実な奴隷”という、現実にはありえない神話が、ミッチェルの小説中ではマミーという人物により具象化されぐずぐずと残されて表現されているのは、」
「白人アメリカ人が”アフリカ系米国人が奴隷制度の不正義に対して怒っていない”という空想の世界に生きていたいと望んでいるからだ」
と説明している。

9 評判
9.2 人種・民族性・社会的問題
風と共に去りぬ」は、19世紀南部におけるアフリカ系米国人をステレオタイプに軽蔑して描いたとして、批判され続けている。

奴隷解放宣言後の初期のころには、
「元農業労働者だった人々は、知性がほとんどない生物がするような振る舞いをする。」
「例えば、サルとか小さい子供が、彼らの理解力を超えた高い価値のあるモノの中におかれて自由にされると、」
「破壊という屈折した喜びから、あるいは、単に無知なために、乱暴になる。」
と描写されていた。
「”クー○ラ○クス○○○が暴力を振るい解放奴隷を虐待したこと”を軽視している」とマーガレットミッチェルは批判されている。
Pat Conroyは、「風と共に去りぬ」の再販版での”はしがき”で、
「マーガレットミッチェルは、クー○ラ○クス○○○を、”D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画国民の創生”がやったように、ロマンチックに理想化して描いており、」
「クー○ラ○クス○○○が”白人男性専用のElks Lodge友愛社交クラブ”と”白人男性専用乗馬クラブ”を結合させたもののように見える」
と書いた。

風と共に去りぬ」は歴史的考証・時代考証が間違えている、という問題に関し、歴史家のRichard N. Currentは以下のように指摘している:
風と共に去りぬ」は奴隷解放宣言後の米国における間違えた神話、特にアフリカ系米国人の方に関してのものだが、を長いこと存続させたことが極めて残念なことであるのは疑いもない。
マーガレットミッチェルによりそれらの主張が考案されたわけではない。専門の歴史家の大半が何年も後になるまで知らなかったことを、若い小説家が知らなかったからといって批判されることもあまりない。

この小説は、農奴制農場の価値基準を美化しているとして批判され続けている。
マーガレットミッチェルの伝記作家で”Margaret Mitchell and John Marsh: The Love Story Behind Gone with the Wind”の著者Marianne Walkerは、
これらの点で批判する人々は原作を読んでいない、と主張する。
1939年に作られ大ヒットした映画版は、”古き南部に関して間違えた知識を広めている”。マーガレットミッチェルはこの映画上映にも映画製作にも携わっていない。

”Lies My Teacher Told Me: Everything Your American History Textbook Got Wrong”の著者James Loewenは、
「「風と共に去りぬ」はきわめてレイシスト的で、非常に間違いだらけで人種差別的だ」と言う。

1984年にイリノイ州Waukegan市会議員が、Waukeganの学校で読むべき図書、にこの本が含まれていることに関して、「レイシズム」「受け入れがたい差別用語が使われている」として、裁判を起こした。

15 続編と前編
風と共に去りぬ」の著作権を持つ団体が、Alice Randallによる著書「風なんぞもう来ねえ The Wind Done Gone」の出版をさしとめようとしている。
「風なんぞもう来ねえ The Wind Done Gone」は、奴隷の立場から、「風と共に去りぬ」を書き直したものである。